企業の経営者や幹部社員の研鑚を目的とした中小企業家同友会旭川支部の末席に名を連ねさせていただいている。ご推察の通り、不良会員であるが。その会員が運営するNSN、いやSNSか…、まっ仲間内に範囲を限ったインターネット上のネットワークに誘われて、登録したのは二カ月ほど前。絵に描いたようなアナログおやじ、無精者、三日坊主…、どうせ続かないと思っていたのだが、どうしたものか、日々、日記を書き込んだり、ネット上のお友だちの日記を読んだりして楽しませていただいている。

  持続している理由の一つが、日本全国、訪ねたこともない、あるいは町の名前も知らない、そんな地域の方々のリアルタイムの情報や生活の一端に、お会いしたこともない方を通して触れることが出来る、という面白さだ。例えば、福岡市にお住まいの“マイフレンド”の七月のある日の日記の一部――

  「直会と書いて”なおらい”と読む。山笠を動かして、そのあと各町内で毎日、反省会という形で飲食をする。これが楽しい。年に一度しか会えない仲間と、今年も会えた喜び。会えなかった仲間は今頃どうしているんだろうと、知ってそうな人に聞いたり、会話が弾む。また来年もその先もずっと仲間と酒を酌み交わしたいと思う」

  この方は、「直会」の語源をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia )』から引用して解説してくれた。で、私のお返事メール――

  「二週間以上も祭りが続くんですね。想像を絶する世界です。歴史の堆積を感じさせられます。『なおらい』については、神事に関係のある言葉なんだろうな、とは感じていましたが、詳しくは知りませんでした。旭川では、何か行事が終わった後、それが祭りでも神事でもなくても、反省会、打ち上げ、みたいな意味合いで『なおらいをする』と使います。比較的、高齢者が使うようです。ただ、この言葉は北海道内でも使われる地域は限られているような気がします。僕が生まれた稚内、中学生時代を過ごした北空知では、使われていなかったと思います。いま、僕たちは、ちょっとアナログっぽい感じを込めて、『なおらいをやろうか』と使います。日本のこと、もっと知らなきゃ、だめですね」

  この福岡の方の日記には、こんなコメントも記されていた。

  「外部からやってきて山笠に参加することになった人には、第二の故郷として思っていただかなければ参加は許されません。特にうちの町内は、夏の山笠だけでなく、冬の餅つき、秋の遠足、春のどんたく等のすべての行事にきちんと参加しなければ、立派な若者として認めてもらえません。さらに毎日のランニング、雁金会と称する若手の会合にも全て参加することで、やっと認めてもらえる感じです。もうオジサンなので、私の場合はそこそこで許してもらっていますけどね」

  今年の我が旭川の夏祭り、さんろく祭りは、雨にたたられた。準備や運営に当たったみなさん、ご苦労さまでした。私も、夜店の準備や後片付け、そして浴衣姿でちょっとフラフラして、楽しませていただいた。短い歴史の中で、よくぞここまで「いい祭り」に育って来たものだと思う。関係する方々のひたむきな熱意と、何より「地域のために」という無私の精神があってこそ、祭りが市民権を得て、いつしか祭りそのものが人を引き寄せる力を持つということなのだろう。

  博多祇園山笠のような、数百年の歴史を持つ本州の祭りのことを思えば、街そのものがたかだか百年余の歴史しかない私たちの祭りは、まだうぶ声をあげたばかり、と言えるだろう。不況があったり、天災があったり、時の政権の交代や戦乱の時代を経ながらも、庶民が草の根の力で営々と守り続ける中で、そがれ、足され、つぎを当てられたりしながら、“祭りの柱”が創造されていくに違いない。形の上でも、精神の面でも、五十年、百年単位の時間の流れが、祭りの成熟には必要なのだろう。

  なにせ、私たちは、この土地に住み着いてから、まだ、長くても一世紀を過ごしたばかりの、いわば、流れ者に毛が生えたくらいの存在なんだものなぁ、などと思いを巡らせながら、びしょ濡れになって、夜店撤収のお手伝いをさせていただいた。祭りに関わったみなさん、足を運んだみなさん、お疲れさまでした――。

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