身近な読者から「オバサンという表現をよく使いますが、差別用語ではないのですか?」と指摘を受けた。「話し言葉の中で使うオバサンと、あなたたち物を書くことを生業としている人が活字を使って伝えるオバサンとは、同じオバサンでも意味が相当違って受け取られるのではないですか」と。

 確かに、前号と前々号の本欄でも、オバサンという言葉を使っている。言われてみれば、書き手である私の中には、表現の対象である「中年の女性」に加えて、ある種のイメージを読者に与えようとする意図があったのだ。それは例えば、ある程度の年齢になったことで、社会経験を積んでいささか図々しくなり、多少のことには動じない、聞こえないフリができる、物怖じしない、体型で言えばズングリムックリみたいな、そのような人物像を読者の潜在意識下に結んでもらおう、という思惑。差別用語ではないかとの指摘も、的外れではない。

 振り返ってみれば、自分よりもかなり年下の者に「オジサン」と呼ばれても、「ハイハイ」と素直にお返事できるが、例えばの話、隣家の、私と同年代か、あるいは年上と思しき女性から、「オジサン、長ネギよくできたねぇ」などと声を掛けられると、我ながら明らかにムッとした顔をしているのを自覚するではないか。考えてみれば、間もなく五十六歳だ。若いつもりでいるけれど、あと十年もしないうちに、高齢者の仲間入り。四十代、五十代の女性を「オバサン」と呼ぶ権利は、毛頭ないのだ。

 と、反省しつつ、そうは言ってもなぁ、とも思う。「中年の女性」という表現って、その語感も、字面も、想像力を掻き立てないんだよなぁ、と。くだんの読者に「誰にオジサンと呼ばれても受け入れますから、原稿にオバサンを使っても許されませんか?」と提案したのだが、「それとは問題が全く別です」と拒絶された。考えたら、彼女も立派なオバサ…、いや中年女性だもの。以後、本欄ではオバサンは原則禁止、ということで。枕は、ここまで。

 「入園者数の増減は別にして、旭山動物園の異常な人気ぶりも一段落じゃないかな」とは、市内のあるホテルの支配人の言。「去年は、宿泊客が浮き足立っているような感じだった。仕事で旭川に来たサラリーマンが、その合間を縫って二、三時間、どうしても動物園を見に行かなきゃと、まさに、フィーバーという言葉が当てはまる状態。でも、今年は違う。落ち着きました」と。

 三十六万人のまちの動物園に、年間三百万人の入園者。四、五年前までは「動物園に行って、ゆったり、のんびりしようか」という感覚だった、このまちの住人たちが、「混んでるから」とか、「行列するのはイヤだから」と敬遠する傾向も現れ始めたのだから、異常な状態であることに間違いない。今後も、新しい施設の建設が計画されていると漏れ聞くから、入園者が激減することはないのだろうが、いずれにしても三百万人の維持は難しい。落ち着くところが、百万人なのか、百五十万人なのか、それでも地方都市の施設としては驚異的な数字だと言える。

 その旭山の“一人勝ち”に危機感を強めた全国の動物園が、お客を集めるために様々なアイデアを絞っているのだそうな。その一つ、札幌・円山動物園が企画した大人向けの夜のイベント「ロハスナイト」。動物園の入口には園長以下、作業服からスーツに着替えた飼育係ら職員たちがお出迎え。ソムリエにグラスを渡され、スパークリングワインを注がれて園内へ。カンガルーに餌を与えたり、触ったり。そしてレストハウスのレストランでは、有名ホテルの名料理長が腕を振るった、道産食材を使った料理を楽しむ。

 歌い文句は「夜の動物園を舞台に、地球上にある持続可能なライフスタイルとは何なのかを、動物たちのライフシーンから体で感じることができます」だと。ンー、私の日本語力では理解不能。定員三十人。料金六千円。六月から十一月の間に九回行われ、毎回定員を超える人気なのだそうだ。

 この話を聞いて、昔、同じような感覚を持った事例を思い出した。旧大蔵官僚の汚職事件の舞台の一つになった「ノーパンしゃぶしゃぶ」。パンツを履いていない女性の接客を受けながら、シャブシャブを食べる、というケッタイナお店が流行った時代があったのね。その報に「ノーパンならノーパン、牛を食うなら食う、どちらかにしなよ。神経が集中できないじゃないか…」と、感じたものだ。円山動物園の人寄せイベント、形は違っても発想は似たようなものじゃないの?

 よそのまちの動物園をけなすつもりはない。ただ、話題づくりのためなら何でもありは、動物園の姿勢としてどうなのかな…、と首を傾げるのだ。まさか、何年か何十年後か、元ののんびり、ゆったり状態になった我が動物園が、そんな邪道に走る心配はないだろうな、と思いながら。

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