義母が膝の皿を割って病院におぶって運んだ折、「手術も治療も必要ない」との理由で、自宅に返された。七十九歳。ちょっと痴呆が来てるかな、そんな感じ。トイレに行くのも、風呂に入るのも、もちろん一人では無理だ。翌日、再び病院に運んで、なんとか入院させてもらうことになった。そんな遠い昔じゃない、ちょっと前まで、「はいはい、どうぞどうぞ」みたいな対応だったはずなのに、膝の皿が割れた程度のケガならば、今ではペコペコ頭下げてお願いしなきゃ、入院もさせてもらえない…。

 過日、ある病院の事務長の話を聞く会合に出席した。細かな数字は省くが、「制度改革」の名のもとで、猫の目のようにコロコロ変わる医療・介護政策によって、病院の経営が困難さを増している現状と、患者本人への負担の押しつけが、医療や介護の分野にまで「格差」を急速に広げている状況を知らされた。同じ会合に出席した同年輩の知人と二人、「オレたちが七十歳になる時代には、大金持ちと大企業の従業員、そして国に守られるお役人だけが、健康で文化的な生活を送る権利を有する社会になりそうだぜ」と、かなり現実的に、我が近未来の老後を想像しちゃったのだった。あくまでも、その年齢まで生き長らえれば、の話ではあるけれど。枕はここまで。

 前週に続いて、動き出した西川市長の選挙公約の一つ、「食品加工研究所」に関わる「旭川市食品加工試験研究機能検討会議」について。

 会議のメンバーは、農協の関係者、農産物の加工を手がけている農業者、農産物を素材として使っている菓子や麺のメーカーの経営者、大学の先生ら十二人。初回の会議(十月二十六日夜)に配布されたレジュメの中に、「機能の整備に向けた検討方針」なるチャートがあった。中心に「旭川地域食品産業支援センター(仮称)」なるものが置かれている。その役割は「技術相談窓口、試験分析、簡易な調査研究、情報提供」とある。矢印があっちこっちを指していて、大学・高専とは「技術連携」、農協・農業関係者とは「業務連携」、道や周辺自治体とは「政策連携」。そして「食と食品加工の交流及びモデル事業の実施」。んー、とてもお上手な、よく出来た想定図。旭川地域の食品加工には、間違いなくばら色の将来が待っているかに読み取れる。

 で、そのチャートの下には「スケジュール」が明記されている。この検討会議は平成二十年、つまり来年春までに報告書(基本構想)を作成し、今度は「推進計画策定会議」なるものを設置して、平成二十一年度に、その計画書に基づいて研究機能整備に着手、平成二十二年度に運用を開始する、とある。三年間かけて、綿密かつ抜かりない準備の末に、「農業と食品加工業の連携によって、生産から加工までの技術向上と商品開発を通じて、地域ブランドの確立を目指し、地域経済の活性化を図る」が実現することになるのだよ、みなさん…。

 あのねぇ、絵空事なのよ。前号で書いたように、市はこれまでも、担当職員を配置して「地域ブランドの創出支援など、食品事業者に対する支援や、保健所の試験検査機能を活用した食品の依頼試験や道立食加研等と連携した技術相談業務」を行っているはずではないの。その上で自ら、「担当職員が専門的な食品加工技能を有していないため、相談相手として力不足である」と認めているんでしょう? つまり、人、人材の問題なんでしょう? 農家と食品企業のパイプ役となったり、道立食加研や大学・高専の研究者を紹介したり、制度を活用するアドバイスをしたり、流通・販売ルートの開拓を模索したり…、これから三年間の時間と税金と、委員たちの労力、いや消耗か、それらを投じて構築しようとしている「機能」とは、農と食に対する情熱とある程度の知識、公僕たる意識があれば、やり遂げられる仕事じゃないの?

 三年経てば、職員は配置換えとなって、その責任の所在はあいまい模糊、過去の話だ。そのための三年ではないのか、などと穿ちたくもなる。先述した「機能整備」の事業目標に「地域ブランドの確立を目指し」「地域経済の活性化を図る」とある。あくまでも、「目指し」て「図る」のであって、「確立し」て「活性化を実現する」のではない。私ら、民間の会社でこんな計画書作ったら、上司に「やる気がないなら会社を去れ」と罵倒されるぜ。検討会議の委員のみなさんが、これらお役人言葉、お役人の常識とどう闘って、どんな成果を示すことができるか、注目している――。

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