「田舎者だと思って、ナメテるな」、咄嗟にそう感じたものだ。全国の系列下のホテルと一緒に売りに出されると報じられている、市内のあるホテルのサウナでのこと。前回入浴した時までは、確かに天井から勢い良く噴射されていたはずの、「打たせ湯」がなくなっている。下に行って見上げてみると、湯が出てくるはずの穴に丸いプラスチック板が張り付けられている。湯を噴射させる機器が故障でもしたのだろう。その塞がれた穴の跡が、「どうせ売り払ってしまうのだから、金かけて修理なんてしませんよ」と言ってるように思えた。そして「この程度のサービスがなくなっても、田舎者の客は何も文句は言わないだろう」という、大資本の奢りを見た気がしたのだ。

  このサウナ、以前は歯ブラシと簡易剃刀は、洗い場の鏡の前の数カ所に、「好きなだけどうぞ」という風情で置かれていた。一人で二本も三本も歯ブラシや剃刀を使うわけがないのだが、とにかく目の前にあるから使う側には便利。ところが、先日行った時には、洗い場からちょっと離れた一カ所にまとめて置いてある。一度座ってから、アララと取りに行かなくてはならない。で、その次に行った時には、外の脱衣場に置き場所が変わっていた。つまり、徐々に使いにくくしているわけだ。責任者が従業員に命じる声が聞こえる。「コスト意識を持て。頭を使え。出来るだけ使わせるな。歯ブラシも剃刀も、遠くに置けば、使うヤツが減るじゃないか」と。

 サウナがどうこう言ってるんじゃない。「もっとお客様の笑顔を見たいから」「その土地ならではの上質なおもてなし」「隅々まで行き届いたサービス」等々の客寄せキャッチコピーは何なのよ、ということだ。ホテル業を表看板に、その実は、安く仕入れて、短期間に「利益が出る」という格好を付けて売り飛ばす。ホテルは商品。利益が第一。お客なんて二の次、三の次。サービスなど上辺だけで十分だ。儲けるだけ儲けて、あとはバイバイ、野となれ山となれ。地元資本でなくなった哀しさ。現場で働く、現地採用のスタッフの嘆きの声が聞こえて来るようだ。

 これもホテルでの話。二週続けて週末に結婚披露宴に出席した。両宴とも会場は同じホテル。会費は、千円の違いはあったが、察するにバーテンダーさんが登場して「オリジナルカクテル」をサービスした、その差だろう。どちらも、親御さんとも、新郎本人とも付き合いがあり、ほのぼのとした良い披露宴だった。で、その料理。二回とも全く同じ。デザートの前の握り寿司のネタまで、マグロ・甘エビ・サーモンと見事に同じ。同じく二週続けて同席した一人が「次は小さめのビフテキが出てくるぜ」と予測する。そして、その通り。「田舎のホテルだよなぁ」と呟く声に、私は逆のことを思った。

 田舎のホテルで結構じゃないか、田舎だからこそできるサービスってあるんじゃないか、と。どちらの宴も二百人ほどの出席者だ。狭いまちだからホテルマン達が見知った顔も名前も少なくない。ちょっと気を利かせれば、事前に「この人、先週の披露宴にも出ていた」と容易にキャッチできるはず。現に、この披露宴の少なくても二十人は二週連続の出席者。その中にホテルを利用する機会が多い顔ぶれも少なくなかった。ホテル側に言わせると「そんなサービス無理です」という理由は数多あるだろう。文句を言うんなら、もっと金だせ、と反論されるかもしれない。でも、せめて一品、「絶対、次はホタテ入りのスープだぜ」という予想を裏切る料理が出て来る、そんな工夫があってもいいのではないか。田舎なんだから、さ。

 それにしても、地元資本のホテルが次々となくなる状況は、歴史が浅いこのまちの経済力の蓄積もまた浅かったという証なんだろうか。私たちは、様々な意味で雌伏の時を迎えているのかもしれない。

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