市議会議員の中に「ブームになって人が押し寄せている今なら、価値がある。大手の民間資本に売ってはどうか」と本気で言う御仁がおられるという。旭山動物園のことである。二十年ほど前、入園者が少なく、動物園がまだ牧歌的な雰囲気を持っていた時代、同じ意見が議会からあがった。「こんな赤字を垂れ流す施設は、民間に売り払ったらどうか」と。客が少ないと「売れ」、客が沢山来ると「売れ」。声を発している議員の名前は当時と今では違っても、同じ感覚の持ち主である。この手の議員を相手に市政について議論をしなければならない立場の市職員の方々、心中お察し申し上げまする。

さて、その動物園の入園料の改定案が現在開会中の市議会に提案される。現行は、大人(高校生以上)五百八十円、小中学生無料、旭川在住の七十歳以上、障害者及び介助者など全額免除。改定案では、大人の入園料が八百円に値上げされ、市内在住者に限り現行の五百八十円で入園できる。その最大の理由は「市民の税金を使って整備している施設だから、市民を優遇しなければならない」だそうである。「収入増を図ることで、今後の新しい施設整備に備える」も目的の一つ。

先述の「牧歌的」時代と違い、旭山に対する市民の関心は驚くほど高い。料金改定の話を耳にしてから、ここ半月ほど、お会いする方に、それとなくこの旭川市民と市民以外に格差を付けようとする入園料改定について尋ねている。面白いのは、動物園に行かない人ほど「市外の人を高くしてもいいんじゃないの。旭川市の施設なんだからさ」という答えが多いこと。シーズン中に何度入園しても千円の「パスポート」を持っていて、「年に最低五回は行くかな」などという常連さんは「私の場合は何回行っても千円だから別に影響はないけど、市民とそれ以外の人を差別するようで、なんとなく気持ちが悪いな。了見が狭いと言うか、外から来る人に“せこいまち”という印象を与えなければいいけど」と心配したりする。

北海道新聞夕刊の「はいはい道新」の欄に、「入園料の格差は疑問」のタイトルで次のような投書が載った。

――全国人気の動物園は市民の誇りです。職員の努力で、笑顔あふれる動物園に生まれ変わりましたが、財政上の理由で市外からの入園者の入園料だけ値上げが検討されているようです。本州の友人とよく訪れた動物園に、値上げ後は市民の私だけがいい思いをするようで恥ずかしい気がして「一緒に行こう」とはもう声を掛けられません。市民の入園料と市外から訪れた人と同じでこそ、胸を張って「私たちの動物園」と思っています。(旭川市・無職、男64)

この欄で、私は過去に「入園料をもっと値上げしたらどうか」と提案した。「安すぎる」と。また、「子どもでも大人でも、受益の対価は支払わなければならない」というルールを示す意味で「小中学生からも五十円でもいいから入園料を徴収したらいい」とも書いた。動物園は特別会計、つまり独立採算で運営されており、前年度までの借金は約二十数億円。公共施設といえど、収支のバランスは考慮せざるを得ない。まして、市の財政状況は言うまでもなく厳しい。新たな施設を整備するために、市の懐に全て頼るのではなく、自ら増収を図ろうという姿勢に異論はない。

だが、市民と、それ以外の入園者の料金に格差を付けるという増収策は、いかがなものかと思う。「この動物園は、このまちの市民の税金を使って作ったものだ。市外から来る人は、高いお金を払いなさい。そうすれば、見せてあげます」という意味の意地悪なニュアンスを発信しはしないか。

「生命」「環境」をテーマに掲げる旭山動物園構想が最終的に目ざすのは、「淡水魚水族館」だと聞く。大雪山から石狩川、日本海、そして地球のあらゆる生命は繋がっているのだという厳然たる事実を、動物たちの姿や行動を通して知る、学ぶ、そんな理想の動物園。日本最北の、小さな動物園が高く掲げるコスモポリタンの匂いが、現在の旭山人気を呼び起こした一つの要因ではないかと私は思っている。その園が、入園ゲートで「旭川市民であることを証明するモノをお持ちの方は、二百二十円割引します」なんてやるのかい。おぉ寒いー。

多くの市民は「動物園を充実させるために多少の負担をお願いします」と言われれば、「あいよ」と応えるくらいの心意気は持っている。不遇の時代を支えたのは、優秀な職員たちの汗とアイディアだったが、加えて旭山を愛する市民の応援もあったのだという事実を忘れてもらっては困る――。

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