新生・小熊秀雄賞の贈呈式。運営委員の下働きとして、舞台の係を仰せつかり、バタバタと走り回っているうちに式は進んで、アーサー・ビナードさんの講演が始まっていた。流暢な日本語、ウイットに富んだ逸話。聴衆の上品な反応の良さも手伝って、講師の口の滑りが良くなるのが分かった。

客席には二百人以上の聴衆。お二人の受賞者や講師に申しわけなくなるような状況にならなければという、実行委員たちの危惧も杞憂に終わった。まずは、やれやれという気分。来場して新生・小熊賞の出発を祝っていただいた皆様、実行委員となって賞を支えていただいている個人や企業の方々、旭川市や教育委員会、道文化財団の支援に、運営委員の末席に名を連ねる者の一人として、心から感謝したい。

式と講演会の後、花月会館で開いた懇親会の席だったか、その後の居酒屋・大舟でだったか、気持ちが高揚したところに酒が少々入っていささか酔っていたので失念したが、受賞者の新井高子さんが、真剣な顔で「旭川が第二のふるさとになりました」と話された時、目の奥が少々熱くなった。「あぁ、賞を残してやっぱり良かったんだ…」と。近ごろ、めっきり涙腺が緩くなったせいもあるかもしれぬが。

贈呈式の折、受賞者のお二人、新井さん、竹田さんの胸に付けられていた黄色の菊のコサージュは、フラワーショップかしやま(三条買物公園)の柏山加世子さんの手による。正賞の「詩人の椅子」は、元道教育大旭川校教授で彫刻家の板津邦夫さんがデザインし、旭川を代表する家具メーカー・カンディハウスさんの制作。椅子の座面の下に付けられた「第41回小熊秀雄賞 正賞」の銅板のプレートの文字は、造形作家で今回賞の選考委員も務めた藤井忠行さんが書いてくれた。そして、お二人に手渡された額入りの目録は、版画家の末武英一さんの作。原稿用紙の升目をアレンジした美しいシルクスクリーン仕様の台紙は、それだけで立派な作品だった。こうして見ると、地元のたくさんの方々が、様々な形で関わってくれ、支えてくれているんだぁと、改めて思う。

賞を継続的に運営するための財政面では、まだまだ組織として脆弱だ。市民の認知度も、詩人・小熊の歴史的評価に照らして、高いとは言えない。だが、私はそれほど心配はしていない。「こぐまさんて、何をした人なのか分からないけど、あんたが旭川にとって大事な賞だと言うんなら、応援するよ」と会員になってくれた方もいる。松田会長をはじめ、運営に関わっているメンバーたちが、小熊の世界を楽しみながら、地道にコツコツと理解者を広げる活動を続けていけば、自ずと道は開ける。支援の輪は、ゆっくりとではあるが確実に広がる。そう楽観している。

小熊の研究者でもある、童話「焼けた魚」の絵本も出しているアーサー・ビナードさんが、懇親会の場で、冗談めかしてこんな話をされた。「最近、東京の豊島区は池袋モンパルナスなどを観光資源、この言葉嫌いですが、として立教大学と連携してイベントを開催するなど、小熊にものすごく注目しています。旭川で小熊賞が続けられなくなったら、私に言ってください。すぐに東京・豊島区が継続すると名乗りを上げますから」。

どうにか第四十一回の贈呈式は無事終わった。さてさて、豊島区に小熊賞を持って行かれないためにも、応援団の拡充に動き回りつつ、すでに公募がスタートしている第四十二回の準備を始めなくては。この欄を借りて、新生・小熊賞への支援のお礼と、今後もよろしくということで――。

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