「土をかければ、ホワイトアスパラになるじゃない」と、お調子者気質を刺激され、アスパラ畑(畑と呼ぶほどの規模でないのはご推察の通り)の、わずかに三つの頭をのぞかせた株の一つに、一週間ほど前、土をかぶせた。

最近、それほどお高くない高級食材として人気を呼んでいるらしく、スーパーマーケットの野菜売場などでも見かけるようになった。五十歳以上の方には理解していただけるかもしれないが、少年の頃、緑色のアスパラガスなど、見たことがなかった。アスパラと言えば、白。それも、缶詰。東京で大学浪人をした時期、母親から送られてくる小包には、必ずアスパラの缶詰が入っていたものだ。一等品の細い缶ではなく、規格外の、短くカットされたアスパラの水煮が入った太い缶。さほど旨いという感覚はなかったが、貧乏学生の食生活、マヨネーズの味でごまかしてむさぼり食べた記憶がある。

さて、土をかぶせた我がアスパラちゃん。今朝、遺跡の発掘作業のごとき慎重な手つきをもって、恐る恐る、掘った。いたいた、頭の先が多少薄緑っぽい、色白、私の人差し指ほどの太さの、三本。ワイングラスにいけてテーブルに飾り、どうやって食しようか、思案中である。枕は、ここまで。

そろそろ「声のブッポウソウ」が鳴く季節だ。ご存じの方も多いだろうが、初夏、五月から六月にかけて、夜の森で「ブッ ポー ソー」と鳴くのは、コノハズク。昭和十年までは、ブッポウソウという別の鳥の鳴き声だと思われていたそうで、当時、NHKラジオが愛知県の森から実況中継を行った折、東京浅草の傘屋さんが飼っていたコノハズクが、中継された鳴き声に誘われて同じように鳴き始めたことから、声の主は、コノハズクだと初めて確認されたのだそうだ。ちなみに、ブッポウソウは「ゲッゲッゲッ」と濁った鳴き声だという。で、コノハズクのことを「声のブッポウソウ」と呼ぶ。

コノハズク、日本に飛来するフクロウの仲間では最小。全長二十センチほど。頭に、耳のように見える羽毛がある。毎年、突哨山や嵐山で、市民グループが「聞く会」を催す。私も、何度か参加しているのだが、懐中電灯を手に暗くなり始めた森に入ると、中年を過ぎたオジサンも、少年時代に戻ったような、ワクワク ドキドキ なんとも不思議な気分にさせられる。主催する側の怠慢で時期が少し外れたり、運が悪かったりすると、鳴いてくれないこともまれにあるが、真っ暗な森の奥から「ブッ ポー ソー」(キョッ キョッ キョーと表現する人もいる)と聞こえてくる、澄んだ、柔らかな、透明感がある、鳴き声を聞くと、あぁ、生き物って、みんなどこかでつながっているんだなぁ…と、実感できる気がする。

そのコノハズクが、嵐山で鳴かなくなった、という話を聞いた。「聞く会」を催しても、鳴き声を聞くことができなくなったという。ここ二年ほどは、神居に会場を移して開いたそうだ。神居の住宅街のすぐ近くの森で「ブッ ポー ソー」が聞けるのに、原始の自然が残っているはずの嵐山で、突然、鳴かなくなったのはなぜだろう。

〇四年四月、嵐山から近い緑町に、巨大なショッピングセンターがオープンした。この欄で、何度か、あのバカでかい施設のアホらしさについて書いた。「大きいことは いいことだ」なんて、時代錯誤だと。夜、辺りはばからずにつけ続ける、巨大店舗の電灯やら照明やらの光は、石狩川を挟んで、直線距離にして三キロもある我が家からも見える。夜の空に向かってボワーッと立ちのぼるような光の塊。最初のうちは、あの明るいのは何だろう、あそこにナイター設備がある球場なんてないはずだし…、などと頭を傾げていたのだが、それがショッピングセンターが放出する光だと気づいた。

野鳥にくわしい研究者は「コノハズクがあの光を嫌って嵐山から去ったと考えられる。それまで、何十年、おそらく何百年も昔から、飛来していたのに、ショッピングセンターがオープンした年から、突然、鳴き声が聞かれなくなったんだから。ただ、科学的に証明することは難しいだろうね」と言う。

コンビニエンスストア一店舗が一日に消費する電気量は、平均的な一般家庭の二カ月分にあたる、のだそうだ。とすれば、森の鳥をも追いやってしまうほどの店舗の電気消費量は、どれほど莫大なものなのか。その企業が「環境に貢献します」などと底の浅いキャンペーンをする。そんなおためごかしをするなら、コノハズクが鳴く季節は、鳥のために、あるいは鳥の声を楽しむ人たちのために、「午後七時には閉店します」くらいのことをやったらいかがか――。

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