米国の大手証券会社が破綻し、その負の大波が日本にも押し寄せて、ひょっとすると世界大恐慌にまで突き進む可能性がある状況であっても、たかが一政党の党首を選ぶだけの選挙運動は、粛々と行われるのだな。

報道各社が「勝負あった」「消化試合」「つづく総選挙の事前運動」などと報じても、本来の持ち場に戻って仕事をしなければと考えたのは、現職の経財相だけ。読売新聞が、どんな意図があるのか、新内閣の顔ぶれを予想する記事を連日載せているが、当の麻生さんは、確か、お国の浮沈を一手に預かるべき与党の幹事長ではなかったか?

総裁選の余勢を駆って衆院選になだれ込めば、二代続けて「オレ、やーめた」と政権を投げ出した総理大臣の笑っちゃうような無責任ぶりも、なんと四代立て続けに辞職を余儀なくされた農水相のお粗末ぶりも、国民はみーんな忘れて、もしかしたら「惨敗」が「敗戦」程度に収まって、うまく行けば政権を渡さずにすむかもしれないな、なんて、本気で考えているとしたら、私たち国民も徹底的になめられたものでありまする。枕は、ここまで。

「お役人は、私たちのような弱小零細の店がどうなろうと、意に介さないということでしょう」とは、五条通に店を構える飲食店の五十代の店主の声。

旭川市の職員の昼休みが、今春四月一日から四十五分間に短縮され、庁舎周辺の飲食店の売上げが激減するという影響が出ていた問題。市は、職員へのアンケート調査の結果を踏まえ、「当面は一時間に戻さず、四十五分のままにする」ことにした。

市総務部の担当者は、「庁議(市長はじめ幹部職員による会議)で意見をもらったり、職員組合と協議し、商工会議所や商店街の方たちとも面談して検討してきたが、年度途中での勤務時間の変更は無理だと判断した」と語る。

私は、こんな質問をしてみた。「こうした問題は、ある意味で政治的な意味合いを持つ判断を要求される。総務の現場の一職員が、ああする、こうする、という意見を言うことは難しいだろう。組織のトップ、つまり市長が、『たった十五分の変更で、小さな店の存廃を左右するのなら、弱いものを守る方向で考えよう』と号令をかければ、それで決まる話じゃないですか?」。もちろん、当の担当者が答えられるはずもない。彼は、困惑の表情を浮かべるだけだった。

市が「四十五分維持」の根拠とした職員へのアンケートでも、臨時・嘱託を含む三千四百八十七人の職員うち、「四十五分の休憩で良い」と答えたのは六割。残りの四割、約千三百人は、「一時間に戻してほしい」という意見だった。その理由として「庁舎周辺の飲食店等への影響」をあげる、心優しき職員もいる。

そうなのだ。その姿勢が、優しくない、柔軟でない、たおやかでない、のだ。四割もの職員が「一時間の方がよい」と感じているのならば、出・退勤の時間を十五分早くするか、遅くするか、それとも昼休みを十五分短くするかを個々が選べるようにする、「選択制」という手法だってあるじゃないか。市のある幹部でさえ「フレックスタイムを導入する手だってあるよ」と言っているんだから。

先述の総務の担当者は「組織管理上の難しさがありまして…」と言葉を濁したが、お役人は、出来ない理由を考え出すのが大得意なのだ。そんな集団に「可能になる方法を考えてくれ」と強く指示するのが、政治家でもある市長の務めだろうが。職員も、そうした強い意思表示を歯がゆい思いで待っている、私にはそう映る。

聞けば、国家公務員の一日の労働時間が、来年から、現行の八時間から七時間四十五分に短縮されるそうな。民間企業の労働時間に比べて公務員の方が長い、という理由だという。来年秋の臨時国会に法改正が提案され、市もその動きにならって、短縮される十五分を昼休みに当てる腹づもりらしい。なーんだ、地域の、庶民への、細々した気配りに類することまで、独自には決められず、お上に右向けと命じられて、初めて、動くということなのね。そうなのね。そんな程度の政治信条ならば、「まちづくり」だの、「市民の目線」だの、「自治」だのなんて言葉、二度と使うな、西川さん――。

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