久しぶり、と言うか、今季最後と言うか、菜園の話を。畑の脇のナナカマドの木も、真っ赤に色づいた葉をほとんど落とした。十坪足らずの我が農園で今も青く葉を茂らせているのは、ニンジンと長ネギ、花穂を出した青紫蘇。そして間もなく、養分を一気に根に下して枯れるアスパラ、それだけ。たった二カ月ほど前まで、毎朝、収穫物を入れるザルを手に、麦わら帽子を被って畑に出ていた我が身が、何やら懐かしい。

今夏、豊作だったキュウリの蔓を片付けた場所にたっぷりと堆肥を入れておいて、先週の日曜日、ニンニクの種を蒔いた。来春、畑の雪が消えるのを待っていたかのごとく、芽を出すだろう。

雪が来る前に、畑のあちこちに穴を掘って、せっせと生ゴミを埋(い)け、鶏糞や馬糞や牛糞の堆肥を入れて、米糠やもみ殻をすき込もう。畑に面した部屋に生息する娘や息子どもに、「臭いよー」と抗議されようとも、「来年の豊饒を呼ぶための芳香である」と撥ね付けるのだ。

そう言えば、畑からの収穫があった夏の間、感じていたことがある。キュウリ、ナス、トマト、ピーマン、ナンバン…、手塩にかけて育てた野菜を手に居間に戻った私を見る、家人や子どもたちの視線が、何かいつもと違う。昔むかし、猟や漁に出た一家の主が、「どうだ、獲れたゾ」と獲物を掲げながら住処(すみか)に帰還した時の、家族たちの「やったー、お父さん、すごい」みたいな、そんな感触。

「雨が降っても、風が吹いても、毎日、毎日、畑ってそんなに面白いの?」とかなんとか冷やかされながらも、大げさに言えば、「父権復活」に似た気配を密かに味わっていたのではなかったか。家人をはじめ、家族にそんな気持ちなど、さらさらなく、あくまでも私の思い込みに過ぎないのかもしれぬが。農業や漁業、食べ物を獲る仕事というものは、ことほど左様に、ヒトの精神性と深く関わりを持つ職業なのだと、猫の額と言えば猫が立腹するような広さの畑の土と向き合いながら、思う。枕は、ここまで。

麻生政権が景気浮揚策の一つとして、「定額給付金」なるものを恵んで下さるそうだ。所得制限なし、つまり大金持ちも極貧の人も、全国民に総額二兆円。四人家族の世帯で六万円だそうな。半世紀余り日本国民やっているけれど、何もしないのに国からお金をいただけるなんて、多分、初体験。だから、何だか気持ち悪い。お尻がムズムズして、落ち着かない感じ。そんなことが、あるはずがないし、あってはならないんじゃないの? そうも感じる。

そもそも「タダ」というものは、信用しちゃいけないのだ。絶対に裏に何か仕掛けがある。ごく最近のことで言えば、携帯電話。世の中でポケットベルから携帯電話への切り替えが盛んだった当初、電話機はタダでもらえた。売る側は「一度使わせてしまえば、こっちのものよ」だったのだ。案の定、今や、四万円も五万円もする電話機を買わされるハメになっているじゃないの。子どもの頃、父や母から教えられたよなぁ、「タダより高いものはないんだよ」って。

その「定額給付金」について社内で話題になった折、一人の社員が「きっと、現金ではなく、そのまま貯金できない形で、消費に回るように商品券みたいなモノになるんでしょうが、いただいたその商品券分を生活費に回すだけで、給料などで入ってくるお金を蓄えるんだろうから、二兆円の消費が増えるなんて考えるのは、どうかしていますよね」と軽くいなした。さすが、商家の家柄、商学部出身…。

文学部出の、金に縁のない、算数メチャ弱の私などは、「一世帯六万円いただけば、自分と同じ貧乏度合いの旭川の庶民は、まず、間違いなく回転寿司に繰り出すだろうな。金持ちは使わず、貧乏人ほどパッパと使う。麻生総理の狙いは、二兆円ばらまいて、貧乏人ウケを良くして、投票用紙に『自民党』って書かせようということだろう」などと安直な予測。

そして経理担当の女性社員は、「消費税が三%から五%に引き上げられた時も、確か、その前に特別減税とか言って、アメ玉をなめさせたのよ。国が、国民に何かを押しつける前には、必ず、おべんちゃらを振るんだから」と冷静に読む。

その通り。麻生総理は、根は正直な人らしく、何もしないヒトにもお金をくれる代わりに、三年後には消費税を上げる、と予告している。なーんだ、タネ明かしをしながらの手品よ。

それにしても、二兆円ものお金、教育や雇用の分野など、まともな使い方が出来ないものなのか。そもそもは暫定政権、選挙管理内閣のはずだったじゃないの。なけなしの現ナマで、なりふり構わず国民の歓心を買おうなんて、この国、笑っちゃうほど、どうにかしてる――。

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