商家の血をひく、元気で、聡明な五十歳代の経営者の話。

「世界的不況の影響が旭川にも出始めて、みなさん景気が悪いとか、不況だとか、外の要因を並べて現状を嘆きますが、東京や札幌といった一極集中の大都会は、その通りなのでしょうが、旭川を含む道北地域の場合、そうした不況とはある意味で無関係なんですよ、実は。地域人口の減少、過疎、しかも働く世代がどんどん減って高齢者はますます増える。当然、購買力は落ちる、生産性は上がらない。つまり、地域の経済が縮小に向かっている、ということです。景気が悪くなるのは、当たり前のことなんです。『不況』と言うと、一時的な現象で、しばらく我慢すれば、再び景気が良くなると思い違いをしてしまいますが、そんなことはあり得ないんです。だって、地域の経済全体が縮んで行っているんですから」。

では、我がまちを含む道北の町々は、衰退に向かうしかないのか、諦めちゃうのか。彼と私の話は、次のように続いた。

「GDPに代表されるデータ、指標とは異なるモノサシで、地域の経済を考えなければダメでしょう。東京や札幌と同じ土俵で、同じ価値観で、何かをしようとしても、当然、かないませんよね。ここにしか、ない、できない、東京や札幌では、どれほどの金を積んでも実現不可能な、そんな施策に集中して投資するということでしょう」

「その一つが、僕は、農業分野だと思う。地球規模の食糧難の時代がすでに到来している。近郊はもちろん、道北地域に放棄された、あるいはもうすぐ放棄される田んぼや畑がどれほどあることか。そこに、どうやって人を呼び込むか、新農業者として定着してもらうか、農業技術を誰が、どうやって教えるか、作ったモノをどうやってどこに売るか、既存の組織や機関を越えて手を結び、意識を共有しながら、有機的な仕組みづくりに挑戦する、それだけでも地域の活力は生まれると思う」。

愚痴を言ったり、嘆いていたりしても何も変わらない。国に頼っても、助けを求めても、無駄なのだ。ここで暮らす私たちが、腹をくくって、いわば「旭川独立論」的思考で、地域の将来をシミュレーションする、知恵を絞る、議論する。そこからしか、可能性は芽吹かない――。

さて、「一事が万事…」、これが市役所の仕事のスピード感なのね、である。今号一面にあるが、旭山動物園の小菅正夫園長が、来春の定年退職後、名誉園長として旭山に籍を置くよう、市がようやく動きはじめるという。年が明ければ、三月末の退職まで三カ月足らず。NHKラジオの「夏休み子ども科学電話相談」の回答者として出演するなど、全国に旭山の名を売った名物園長を引き留めるにしては、ずいぶんとのんびりした話である。しかも、「名誉園長」と言っても、これから条例で特別に定めれば別だが、今のところは嘱託職員という立場。余計なことだが、報酬も嘱託にならって、ということになるしかない。

小菅園長は、旭山動物園の八代目の園長なのだそうだ。一九六七年(昭和四十二年)の開園から五代目までは、事務職の職員が園長を務め、動物のプロ、獣医師が園長に就いたのは、六代目から。現在の隆盛の種を蒔いた七代目の菅野浩園長、そして小菅園長と三代続いて獣医師が園のトップを務めたことが、今の旭山動物園の「根っこ」を形作る大きな要因となったのは間違いない。菅野・前園長は言う。「事務屋さんが組織のトップになると、どうしても管理することが主になって、可もなし不可もなしという運営になってしまう。動物園に限らず、どの組織でもそうですよね。事務屋さんの園長が続いていたら、今の旭山はないですよ」と。

本欄で何度か主張したが、科学館、図書館、博物館、美術館といった施設のトップには、その道のプロを据えるべきだ。職員採用の時点から、そうするよう配慮すべきだが、次善の策として、小菅園長のごとく定年退職した、その道のプロを招聘するという方法も、システムを構築するまでの経過措置としてはあるだろう。少なくても、端パイ(すみません。麻雀用語で無用の牌の意味です)のような方を、役職に当てはめる形で配置するのは、組織を、職員を、施設そのものをダメにしてしまう。そんなこと、「文化の香りあふれる」まちづくりを掲げるならば、最低限の条件だろうに。ね、西川市長。

「言いたいことを書けていいね」などと言われると、身がすくむ思いです。これでも、本人は相応に気を遣いつつ、書かせていただいたつもりであります。一年間のご愛読に感謝しつつ、少々早めですが、来る年がいい年でありますよう、ほっこりできることが沢山ある年になりますよう、心からご祈念申し上げ、筆を置きます。

ご意見・ご感想お待ちしております。