お寺とお坊さんについて書いた前週と前々週の拙文に、現役のお坊さんからお電話やメールをいただいたり、読者からも意見が届いた。三週続けるのはいかがなものかと考え、次の機会にする。

丸井今井の破綻と西武の業態転換の動きが、やにわに買物公園の存亡論に火をつけた。当事者の旭川平和通商店街振興組合は、緊急対策として買い物をした客に対して、駐車料金支払いの条件を緩和するサービスを始めた。その一方で、買物公園の通りを車が通行できるようにする案の検討も市に求めているという。

買物公園の歩行者天国をやめて、車の通行を許し、一九七二年(昭和四十七年)以前の状態に戻そうという案である。さて、車が走るようになれば、買物公園に客は戻って来るのだろうか…。

思い出した。旭川商工信用組合が破綻し、新・信組構想が潰えた(二〇〇一年)直後のことなのだが、ある経済人が、買物公園を横断している通りのうち、一方通行になっている二条、三条、五条の三つの通りにパーキングメーターを設置して、駐車を許したらどうかと提案した。加えて、通りにテントを並べて地元産の野菜の直売をしたり、食べ物の屋台や露店を開いて市場のような空間を創りだす。地元の人間だけでなく、観光客も呼び込めるイベントを毎日企画する…。

そのアイデアに、当時の菅原功一市長は賛同した。その頃はまだ、イオンは進出していなかった。的を射た、積極的な策を、商店街と経済界、行政ががっちりと手を握って打ち出し、買物公園が誕生した時代のごとく、強い意志を持って取り組めば、もしかして中心市街地に人を呼び戻すことは可能だった。菅原市長もその一人だが、買物公園に関わる立場にいたり、その現状を憂う人たちは、多分、それはさほど難しいことではないと考えていた。繰り返すが、黒船・イオンはまだ出現していなかったのである。

菅原市長は、乗り気だった。政治家として、色あせつつある日本初の恒久的歩行者天国を再生させ、その名を再び全国に発信するチャンスだと考えたと推測される。そして「駐車禁止の規制を変更したり、国の制度資金を活用するために、地元の商店街や商工会議所の側から強い要望が上がる形をとってほしい」と、その経済人に伝えた。彼は動いた。だが、しかし、肝心の動くべき人も、組織も、そのアイデアを黙殺した。八年も前のことである。

丸井今井、西武の撤退の可能性大という崖っぷちに立たされて、当事者の中の何人かが本気で買物公園のあり方について声を上げ、具体的な動きを見せ始めた。あの通りで商売して身代を築いた一世代前の先輩商人たちよ、あとは野となれ山となれで傍観していてよいのか。駅前の、三六街を含めた繁華街が寂れるという事態は、まちの核が消滅するということだ。それは、経済上の問題もさることながら、将来を見据えた、まちづくりの基準点が無くなってしまうことを意味する。

イオンをはじめとする郊外の大型ショッピングセンターに客を奪われてしまった最大の要因が「駐車環境の良し悪し」にあると考えるのは、アンケートの回答からも、そうなのだろう。だが、歩行者天国を返上し、通りを車が走るようにすれば客が戻ってくるものだろうか…。いずれにしろ、車の通行を許す案も含め、一方通行の通りにパーキングメーターを設置するアイデア、通りに並ぶ店舗・サービスの質の再検討等々、あらゆる可能性を探らなければならない。時間は、限られている。

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