最近、とても気になること。テレビのニュース番組の「体言止め」。ラジオのニュースに比べると、格段に多いテレビニュースの「体言止め」。ちゃかすわけではないが、このところ目立って増えている気がしてならない。気になり始めると、ニュースを読むアナウンサーに意識が集中してしまい、肝心のニュースの内容が飛んでしまう事態に陥るから困る。

弊紙をお読みいただいている方たちには釈迦の耳にナントヤラであることを承知で、「体言止め」のおさらいを。体言は、名詞・代名詞のこと。つまり文末を名詞(代名詞)で終わらせる技法ですね。

例えば「麻生首相がG8に出席するため、政府専用機で成田を出発」。「北朝鮮が国連安保理の制裁決議を無視。七発の弾道ミサイルを発射」。ひどいのになると、「同協会は、前理事長の○○氏によって設立」のように、受身の文章まで体言止めにしてしまう例も少なくない。

そもそも、和歌や俳句の世界で文に味わいを持たせるために用いられるようになったとされ、余韻や余情を生じさせたり、文章の歯切れが良くなる効果がある。遥か昔、中学校か、小学校高学年の国語の時間に習った気がするのだが、先生は確か、「普通の文章では、できるだけ使わない方がいい」と言っていた記憶がある。

多分、ニュースを読むアナウンサーやキャスターとは別に、原稿を書く記者さんがいらっしゃるのだろう。定めし一流の大学を出られ、入社試験の難関を突破した優秀な方たちであろうし、日本語の話し言葉についてはプロの集団であるはずだ。どうして聞く側、観る側のこの違和感、不快感を察知できないか、不思議でならない今日この頃。あっ、これも体言止めか…。枕はここまで。

ちょっと前のことなのだが、本州からの客人を案内して、開店五分前のレストランでの対応について、「こっぱずかしかったランチ事件」の見出しで書いた。読者から、反論が届いていたが、機会がなく紹介できなかった。ネタ切れというわけでは決してなく、ハハハ、いろいろ考えさせられたメールのサワリを紹介する。

――開店時間五分前の対応に関して、電車の時間前に食事を済ませて、遅れないように乗せてあげたい、それなのに、マニュアル通りの対応は観光地旭川の対応としては恥ずかしい…。確かにそう感じたのでしょう、日本人としては。

私は、イタリアかぶれを自称して、ここ三年間、毎年イタリアを訪れています。イタリア人と言えば典型的なラテン人で時間などはまず守らない、時間には全くルーズな人種といえます(日本人からみて)。ただし、店(食堂・レストランも含め)の開店時間には几帳面で、五分前には店内にも入れて貰えません。ましてや、注文なんかはもっての他で、全く聞いても貰えません。

しかし、開店時間になれば、陽気なイタ公のこと、気持ちよく接客してくれます。何せイタリアは年間三千万人以上も訪れる世界有数の観光立国ですもの。

これは多分労働者の権利意識の問題だと思いますが、私は、上記の状況でも腹が立たなくなりました(昔なら、貴方のように烈火の如く怒っていたでしょうが、これも外国旅行の功罪の「功」の方でしょう)。

列車の時間ギリギリに来たのは誰の都合でしょう? ウエイトレスには何の責任も有りません。外国旅行をしてみて、日本の過剰サービスは美徳でしょうが、日本人はそれに慣れすぎているのではないか。サービスされる事は、要求する物ではないのではないかと感じております。

「時給のことしか考えていない」、考えて何が悪いのか? この考えが延長したところに「サービス残業」があるのではないのか? 貴方は「サービス残業」を奨励しているのではないでしょうが…。経営者なら「サービス残業がなぜ悪い」と、言うかも。

百歩譲って、かの店員が、時間前に注文を聞くなど、貴方の望む対応をしてくれて、気持ち良くお客様を送り出したとして、貴方は「チップ」の一つも出しただろうか? サービスの対価はチップでしょう。もし貴方が「チップ」の一つもあげたら、次回から彼女は開店前のサービスをするかも…。イタリアのみならず西欧では時間前に入れてくれなくとも、「チップ」は出しますが…。

何か違和感を感じて、素朴な感想を書いてみました。――

んんー、この方の主張、分からないではないけれど、日本にはチップの習慣はないからなぁ。加えて、私の憤りの核心にあったのは、ルールとか、サービスとか、ではなく、彼女の表情、物言い、態度だった。それは、開店時間や残業代うんぬんではなく、言えば、働くことの意味、みたいな部分だったんですよ。伝わらなかった私の文章力にも問題あり、ですな。

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