久しぶりにおじゃました、妙齢の女性経営者との話の中で、前週の小欄についての話題になった。彼女いわく、「文の中の体言止めは、それほど気にならないの。文章の流れと読む側のリズムが何となくマッチすれば、文字はスッと頭に入るのね。ところが、音はそうはいかない。多分、聞く側の意識に関係なく、直接、自動的に、耳に入って来るからだと思うの。あなたが書いていた通り、テレビニュースの体言止め、私も以前から、すごく気になっていたの」。

そして、こんな話もしてくれた。「言葉って、時代の遷り変わりとともに変わっていくものだとは思うの。私たちが使っている言葉だって、明治や大正の時代に生きた人たちからすれば、よほどヘンテコリンよね、きっと。国会の討論なんかを聞いていても、横文字がこれでもかというほど飛び出して、戦前生まれの私なんて、チンプンカンプンってこと珍しくないもの。私たちの国の国語教育は、きっと、戦争を境に漂い始めたんだと思う。生活そのものもそうだけど、古いものは価値がない、そうした意識が教育を施す側に強くあった気がするの。それまでの価値観が壊され、目指すべき新しい価値観を示されないまま、野放図に、流れに身を任せてしまったということじゃないかしら。だから、若い世代の言葉の乱れは、私たちを含む、上の世代のなせるわざ、そう感じ入るのだけれど…」

そして、彼女は笑い話をしてくれた。「友達と二人で食堂に入り、私は醤油ラーメンを、友達はあんかけ焼きそばを注文しました。店のウエイトレス、きっとアルバイトよね、感じのいい子よ。彼女が両手に注文の品を運んで来ました。『こちら醤油ラーメンになります』、『あんかけ焼きそばになります』って言いながら、私たち二人の前に置くの。普段はそれほど気にしないで、『ありがとう』と言っていただくんだけど、あなたの体言止めの記事を読んでいたものだから、思わず、『醤油ラーメンになる前は、塩ラーメンだったのかしら』って呟いてしまったのよ。友達は大笑いよ。『私のは、きっとあんかけじゃない焼きそばだったのね』って。でも、ウエイトレス本人は、その意味が分からないの。変なオバサン二人、何を言ってるの?って顔をして、黙って行っちゃった。後から、年甲斐もないことをしちゃったと後悔もしたけれど、この国の言葉の乱れは、事ほど左様にどうしようもない段階に達しているんだと思うわ。まっ、あなたに書かせると、漢字が読めなくても、英語達者が自慢の総理大臣を戴く国なのだから、それも当然だということになるんでしょうけど、ホホホ」。枕は、ここまで。

都議選の結果を受けて、空気は完全に「自民党下野」「民主党政権奪取」という感じだ。四年前、「郵政民営化」だけを争点にした小泉・自民党の圧勝は、まだ記憶に新しい。その小泉元首相が発する「改革なくして成長なし」の絶叫をマスコミが扇情的に取り上げ、垂れ流し、国民は雪崩を打って小泉総裁率いる自民党に票を投じた。その結果はどうだったのか。一般的な国民にとって理解できるような、できないような、「構造改革」という言葉は、現実としてどんな成果を生み、どんな不利益をもたらしたのか。私たちは、何も検証していないのではないか、自民党現職の選挙応援のために利尻島を訪れた元首相を大歓迎する島民の姿をテレビ画面で眺め、「小泉人気は衰えず」のナレーションを聞きながら、何とも複雑な気分にさせられた。

過日、若い経営者らと飲んだ折、もしも、万一、総選挙で、民主党が政権の座に就いたら、ガソリンの暫定税率廃止、中学卒業まで月二万六千円の子ども手当、高校教育の無償化、高速道路の無料化といった公約を実現するのか、そして何より、「公務員天国」に風穴を開けてコペルニクス的に転回させる政策を打ち出せるのか。「民主党が、分かりやすい公約を本当にやるのかどうか。まぁ、それほど期待はしないけど、一度やらせてみるのも面白いよなぁ」そんな結論だった。ちなみに、彼らは党員ではないが、これまでは強固に自民党を支持してきた人たちだ、と思う。さて…。

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