今日も、雨。明日も午後から雨の予報。そんな日が続く七月だ。自宅の菜園の野菜たちも、いわゆる「なり物」はいつもの年に比べて、かなり出来が悪い。これまでの収穫量を記してみると、キュウリは十八本、ミニトマト(黄色)一個、ナス三個、ピーマン二個。昨年と比べると、どれも三分の一以下だ。それでも、菜っ葉は比較的成育がいい感じ。初めて作ったミズナは、娘の弁当の菜として大活躍だし、二本の苗を植えたズッキーニは、晩酌のビールの友だけでは食べ切れず、友人におすそ分けして意外に喜ばれたりしている。

趣味で作っている私などは、笑い話で済まされるが、これを生業としている方たちにとっては切実だろう。美瑛でトマトやアスパラ、コメを作っている専業農家の友人は、「春先の霜でアスパラをやられ、トマトは値段が高い走りの時期の出荷が大幅に減少して、これから出荷量が増えたとしても、収入は半分だな」と淡々と語りながら、「いい年もあれば、悪い年もある。まぁ人生みたいなもんだ。ジタバタしても始まらない。天気に合わせて、オレがやれることをやる。あとはお日様次第だ、ハハハ」。自然を相手にしている職業ならではの懐の深さを見せられたりして。

菜園の話のついでに友人の農家にお願いして、コメ作りを体験させてもらっているという話の続報を。

四月の播種、つまり苗の種を播く作業に始まり、育苗、田起し、代かき、そして五月二十二日の田植えから二カ月が経った。先週、田んぼの雑草取りに行ってきた。一反四畝の田んぼには、約三万四千株の「ほしのゆめ」が、緑の葉を風に揺らせて青々と育っている。試しに抜いて見せてくれた青い葉の中には、すでに稲穂の子どもが形になっている。六十から九十粒ほどのお米の赤ちゃん、色は白いけれど。一輪車に山盛り四つ分の雑草、多くは蛍藺(ホタルイ)という名の丈四十センチほどの草。稲に似た稗(ヒエ)も随分あった。

裸足で鮮緑の田んぼの真ん中に立ち、痛い腰をさすりながら思う。田植え機も除草剤も、化学肥料もなかった、たかだか五十年前の私たちの生活や精神のあり様を。いま、学校の給食の時間、「うちの子に、いただきますと言わせないでください」と要求する親がいるという。「給食費を払っているんだから、いただくわけではありません」だと。紀元以来、コメを食べて来た民族が、その命の糧である主食を捨てて、パスタだ、パンだと右往左往するから、頭までおかしくなるんだぁ、と毒づきたくなる、農耕民族の末裔であることを自認しつつある私です。枕はここまで。

閉店した「丸井さん」の前を通った。ショーウインドーにベニヤ板が張り付けられている。今はまだ、ベニヤが真新しいし、日差しも夏の明るさだから、さほど気にはならないけれど、あと三、四カ月して、陰鬱な冬空に変わり、雨風にさらされたベニヤ板が色あせたら…。

市民が親しみを込めて「丸井さん」と呼んだ百貨店は、上川神社祭の宵宮の日に店を閉じた。店子(たなこ)になることで支援の手を差し伸べた旭川市にも、所属する商店街にも事前に何の相談もせず、一方的に閉店の日を宣言し、「閉店セール」と銘打って、道内各店の売り残し商品を運び込み、いわばバッタ品を山と積んで、お人好しの、騙されやすい市民に「百十二年のご愛顧への感謝」の意を表わした。二十日の最終日、丸井さんの店内のレジスターは、過去最高のお客の入りを記録したとのこと。その商魂、違うスタイルで、もっと早い時期から、真っ当な商売の形で、「丸井さん」と親しみを込めて呼ぶ旭川地域の消費者に披瀝してはもらえなかったものか。

空き家となった、あの巨大な建物の近未来を巡って、様々なアイデアが飛び交っている。例えば、一、二階は地元の企業が出店し、バザールのような場所にする。家賃は格安にして、零細業者や若者にも出店を促す。三、四階にはテナントを入れて、五階から上は窓口業務を持つ市役所の部署が入居する。彫刻美術館を持ってくる、市民が使えるギャラリー施設を開館する、などなど、実現は到底不可能と思われる案も含め、全くの玉石混交ではある。

だが、次のごとき声には真実味がある。いわく――

丸井が去ったことで、西武が残った。もともと三十五万都市に二つのデパートというのは、今の時代、無理がある。西武だけでも残ったというのは、僥倖(ぎょうこう)といってもいい。丸井跡をどうするかは、旭川という都市の未来像を決定すると言っても過言ではない。このまま、郊外に大型店が無秩序に点在し、中心街のない、つまり顔のない都市にしてしまうのか、それとも市民の思い出が詰まった、歴史ある買物公園を軸に、もう一度中心市街地が復興するのか、そのターニングポイントが、今なんだ――。

さて、丸井撤退がピンチに見えるが、実は、チャンスだという現実を市のトップはきちんと捉えているかどうか。市長として、まちの近未来像を市民に提示する、絶好の機会だ。「丸井さんに次の入居者を探してもらうようお願いしている」なんて、風呂の中で屁をこいたような建前話、聞きたくもないぜー。(工藤 稔)

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