「まちの小さな酒屋に嫁いで四十六年になります」との書き出しの手紙が届いた。弊紙の創刊当時からの読者だという。政権選択だ、政策選択だ、とかまびすしい選挙戦が始まっている。私たちは、どんな国のどんな町で、どんな暮らしをすることを望んで一票を投じるのか。六十八歳の女性からの手紙に、改めて考えさせられた。その一部を紹介する。

――高校を出てから、車の関係の会社に就職し、三年ほど勤めてから、親に勧められた酒屋さんの跡取りと結婚しました。勤めていた会社もそうですが、当時は、今で言う右肩上がりの時代だったのでしょう。明るい将来があると、誰もが信じていたように思います。二人の子どもをもうけ、舅や姑の最期を看取ったり、隣家の火事をもらったりと、いろいろなことはありましたけれど、ごく平凡に過ごして来たと思っています。

――私たちの夫婦の店は、八年ほど前に閉じました。若い頃は、二人の子どものどちらかが継いでくれるだろうと、ぼんやりと思っていたのですが、子どもが高校を出るあたりで、それはあきらめました。商売の将来が見えなくなっていましたから。夫が三代目ですから、百年足らずの商売だったようです。酒もタバコも、塩も、どこでも買えるようになりました。規制緩和という言葉が聞こえてきた頃から、長く続いていた商売のやり方が通じなくなったような気がします。

――なにかおかしいな、世の中どこか変になっているな、と感じ始めたのは、指を折って数えてみると、十四、五年ほど前のことです。うちの店の近くにコンビニエンスストアが開店したのも、その頃です。編集長様が以前書いておられましたが、暮らしのけじめが失われていくのをひしひしと感じるようになりました。コンビニエンスストアが、私たちの暮らしから、けじめ、うまく言えませんが、節操のようなものを失わせる大きな役目を果たしてしまったと、私は思っているんです。

――私たち夫婦の店が影響を受けて、売り上げが落ち込んで、店を閉めなければならなくなった、そんな恨みごとを言っているのではありません。日本人の生活が、狂ってきた、変な方向にむかっている、そう思えてならないんです。

――今度の選挙はマニフェスト選挙だそうです。政党がそれぞれの公約を具体的に掲げて、その政策を選挙民が選ぶということのようです。子育て世代に対する支援とか、格差社会の是正とか、アメリカとの関係改善とか、そうそう郵政民営化の見直しもそうですね、それぞれの党が、様々な公約を掲げているのを新聞で読んだり、テレビで見たり聞いたりしますが、私には、なるほどと思えることがいっぱいあるにもかかわらず、なんだか、これをしてやる、これも良くする、あれもあげる…、まるで町内の傷んだ道路をなおしてもらう、その程度のことを並べられているような気がしてなりません。

――これも、確かお正月の編集長さんの記事にあったように思いますが、元旦からイオンが営業するのは良いことなのか、それとも規制緩和の逆に、平穏なお正月を過ごすために店を開けてはだめだと決めるのか、マニフェストには、そのことを掲げてほしいと思います。私の書いていること、通じるでしょうか。政党のおのおのが、これからの日本をどのような社会にしようと考えているのか、それを示してほしいと思うのです。日本中の津々浦々に、二十四時間休むことなく、明かりをこうこうとつけて、一年三百六十五日、いつでも野放図に買い物ができるような、行き過ぎた便利な、私たちの世代にとっては、とてもだらしない、そんな社会をこれからも進展させていこうとしているのかどうか。それを教えてほしいんです。わかっていただけますでしょうか…。

――久しぶりに長い文を書きました。編集長さんは分からないと思いますが、私は時々、お見かけしているのですよ。

小泉総理が構造改革の本丸と称して郵政民営化を掲げた四年前の選挙を彷彿とさせるフィーバー、もしくは狂騒とも言える雰囲気が漂う。もしも、民主党中心の政権が誕生したら、子どもを高校に通わせられないほどの貧しい家庭にも、年収三千万円を超える裕福な家の子どもでも、一律に公平に二万六千円を配って、高校教育は無償にし、高速道路は走り放題、農家に直接所得保証する一方で、米国と貿易自由協定を結んで米国産の農産物がドッと押し寄せて…。そんな光景は何となく想像できるのだが、この六十八歳の女性がおっしゃるように、近い将来、私たちがどんな規律を持った社会で生活しているのか、そのイメージが湧いてこない。流行り病のような、マニフェストや政権選択という言葉に惑わされることなく、一票を投じる先を決めるのは、なかなか難しい――。

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