秋口から何やら落ち着かない日々で、収穫して種用に取っておいたニンニクを蒔けないままにいた。九月中旬には、予定の一角に堆肥をたっぷりすき込み、肥料も入れて準備は整えていたのだが、そのうちに雪が降り、今年はダメかなぁと半ば諦めていたのだ。ところが、思わぬ雨で積もった雪がすっかり解けた日曜日、意を決して種を蒔いた。予定より一カ月以上遅れての作業。しかも、畑の土は解けた雪と雨を吸い込んで、重く、粘々だ。

 心配になって農家の師匠に電話した。「大丈夫かな。種が腐ったりせずに、来年、ちゃんと芽を出してくれるかな…」と。師匠いわく、「腐ることはないと思うけど、土の中の空気が足りないから、玉が大きく成長しないかもしれないなぁ。まぁ、逆に、いい結果になるかもしれないけどさ、ハハハ」だと。

 今年初めて体験した米作りでも折々に感じたのだが、土とお天道様を相手にしている人というのは、ある意味で潔い。緻密に段取りして、精一杯手をかけて、あとは、お天道様と生きものの力で、豊作になるか不作になるかは人知の及ぶところではない、そのようにスパッと割り切れる。グズグスしない、後悔しない。いつもいつも、グズグズと悔やんでいる、ミスター後悔の我が身を振り返るまでもなく、オレはいくら土いじりが好きでも、農家にはなれないなぁ、の思いを強くした初冬のニンニクの種蒔きだった。

 話は、コロッと変わる。今号二十三面の「スイスからの手紙」を読んでいただきましたか? 書いているのは、旭川出身で、バレーボールの選手として活躍し、その後スイス人の男性と結婚して、現在はスイス・ティチーノ州、アルプスの麓でペンションを経営している大久保ゆかりさん。

 今回の「手紙」を読んで、正直に言って、ガクッときた。実家に帰ってきた折、何度かお会いしているが、その話を聞く限り、大金持ちではない。彼女が文中でオットと表現している旦那さんも、ペンション経営を始める前はサラリーマン。失礼を承知で言えば、ある程度の暮らし、日本に例えれば中流家庭以上の出だろうと推測するが、決して億万長者というわけではなかろう。これまでのリポートからしても、スイスでは普通の家庭、一般的な家族、だと思われる。

 「ガクッときた」のは、冬を迎えてペンションを閉じなければならないという理由があるにしろ、五週間の日程で、家族三人そろって、タイにバケーションに出かけられるという事実だ。私の知り合いにも、立派な会社を経営していて、そろそろ息子に社長の椅子を譲る時期で、会社にいない方が息子のためになる、とかの理由で奥さんと十日間ほど海外旅行に出かける、なんて方もいないわけじゃない。だが、それは人生の後半、社会的地位も、富も築き、あとは悠々自適…、という年齢になってからだ。

 本紙に連載している大久保さんの「手紙」によれば、オットがサラリーマンの時代から、数週間というスケジュールでキューバや中南米の国々に夫婦で滞在し、バケーションを楽しんでいるような。

 世界で第二位だか三位だかの「経済大国」を自称している私たちの国で、普通のサラリーマンや自営業を営む夫婦が、しかも学齢期か、それ以前の子どもを伴って、年に一度、五週間もの休暇をとって海外に行ってバケーションを楽しむなんてめちゃくちゃゴージャスな話が、そこらに転がっているか。付き合っている人間のレベルによるかも知れぬが、私は聞いたことがない。

 考えた。この違い、大きな格差は何に由来するものかと。私たち日本人が怠けているわけではない。国としての生産性が図抜けて低いわけでもなかろう。なんたって世界に冠たる経済大国を自認しているくらいなのだから。

 その理由の一つは、生産した果実の分配の仕方が、彼の国と我が国では、よほど違っているのではないか。鳩山新政権が掲げる「コンクリートから人へ」のキャッチコピーのごとく、私たちが稼いだ富が、例えば山奥の、魚の遡上を阻害して、森からの栄養を海に還元できなくするための砂防ダムを全国津々浦々の川という川に建設し続けたり、人家が消えた超過疎地域にガードレールや歩道まで備えた立派な舗装道路をつくって「ヤマベ釣り街道」と異称されたり、有明海の干拓事業も、長良川河口堰も、私たちが生産した果実はぜーんぶコンクリートの構造物に化けた。目的も、需要度も、費用対効果も無視して進められた国の事業が、私たちに与えられるはずの五週間のバケーションに使うお金と時間を飲み込んでしまった…。紙数が足りない。続きは、来週号でということでご容赦を。

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