近ごろ、病院では患者を「患者さま」と言う。どうもお尻がムズムズする感じがして仕方がない。病院に来ている当人は、病気か怪我か、いずれにしても好き好んでこの場所にいるわけじゃない。不本意ながら、致し方なく、いる。何かが欲しいとか、サービスを受けたくて来ているのでは決してない。病気や怪我を治してくれれば、それでいい。出来れば二度と来たくはない。いわゆる「お客様」とは決定的に違う立場なのだ。医療施設側の心構えとしては「患者さま」でいいのかも知れない。だが、それはそちらの問題だ。ヤブにいくら「様」をつけて愛想よくされたって、患者にとって何ほどの意味もない。「患者さま」という言葉の響きは、えーと、例えば、盗人が「オレは天下一の泥棒様よー」と啖呵を切るときに使うような、そんなアイロニー的ニュアンスを感じてしまう私は、よほどのへそ曲がりか。枕はここまで。

 さて、前週のつづき。本紙に隔週で連載しているスイス・ティチーノ州在住の大久保ゆかりさんの手紙に、「ガクッ」ときたという話。

 勤勉に働いている私たち普通の日本人が、五週間の休暇を取って、家族で海外にバケーションに出かけられない理由の一つは、国中にコンクリートの構造物を造り続けてきたからではないか、労働や生産の果実の分配が、彼の国と日本では、よほど違っているのではないかということ。断っておくが、私自身は海外にバケーションに行くことに、さほどの価値観を感じるわけではなく、それが京都や奈良で古刹を巡る五週間でもいいし、友人の農家で五週間、農作業をするんでも、何でもいいのよ。肝心なのは、年に一度、続けて五週間仕事を休むことが可能な社会のシステム、それ。

 前週の本欄を読んでいただいた読者の一人、大学の先生から「全く同感です」とのメールが届いた。彼は、ドイツに住んでいる知人の女性からの便りを添付してくれた。その便りには三週間の休暇を取り、そのうちの一週間を過ごしたギリシャ旅行の体験や、ドイツの労働者の休暇制度などを記してある。彼は、こう言う。

 ――七年ほど前のメールです。当時三十代半ばの彼女はドイツ(フランクフルト)の日本料理店のウエイトレスとしてドイツに行って、まだ二年ほどしかたってないころかな。ウエイトレスでも(という言い方は失礼かな?)実際に長期の有給休暇を取っているという証拠として、当時の講義でも紹介しました。このような雇用のあり方が日本でいま本当に求められているのではないでしょうか――

 世界第二位だか三位だかを自称する日本の民が、五週間の休暇を取れない理由のもう一つ。私たちの普段の暮らしが、実は、とてつもなく贅沢なのではないのか、ということ。振り返って我が身を見れば、夕飯の食卓には、季節外れの野菜やコストをかけて運ばれて来た輸入物のマグロ、ウナギ、スパゲッティー…。灯油をばんばん燃やしつつ薄着でアイスクリームを舐めて、朝からお風呂、水洗トイレはウォシュレット。国民あげてこんな暮らしをしている国は、世界にそうはあるまい。私たちは、この暮らしを「豊か」だと信じている。五週間の休暇を取って、家族で海外に旅をする「豊かさ」よりも、毎日、怠惰で雑菌の少ない生活の方が「豊か」なのだと、信じ込まされている。

 お金に困ったことのない総理大臣が「コンクリートから人へ」と叫ぶこの国が、どのように変わるのか、しばらく様子を見ようと思う。そこで提案したい。旭川市も、事業仕分けを試みてはいかがだろう。お役人の常套句、「他都市の動向を見ながら」では遅い。

 国は、政治の実権を、ようやく官僚から政治家に取り返すべく動いている。強固に築き上げられた役人天国の壁を崩せるのか。事業仕分けという手法は、旧政権の中枢にいた者たちから「人民裁判だ」「民間人が何の資格で」といった批判はあるやに聞くが、納税者である国民が、自分が払った税金の使われ方をつぶさに知ることのできる、初めての試みだろう。

 もともとは国のように巨大な予算ではなく、地方自治体のために考え出されたシステムだそうな。市の事業予算の中には、議員のひも付きや有力者と言われる人のごり押しで潜り込んだもの、すでに役目を終えながら惰性で続いているものも少なくないだろう。財政難を理由に、予算を一律二〇%カットするなどという、能無し経営者でも採用しないアホみたいな歳出削減策が、いつまでも続けられるわけがなかろう。仕分け人の人選が難しいだろうが、そこは若き西川市長がリーダーシップを発揮して――。

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