実物を手にしないで、つまり通信販売などの手段でモノを買って、成功した経験は数少ない。最近の例では、土産にいただいた竹輪が事のほか美味だったので、ネットで注文した。結果は、大失敗とまでは言えないが、土産でいただいた竹輪の方が格段に美味かった、気がした。

 どうして、新聞の通販の広告ページに載っていた電子辞書を買おうと思ったのか、自分でも分からない。更年期の自覚はないが、多分、これが聞くところの「衝動買い」というものなのだろう。注文してから一カ月も経って、注文したことさえ忘れかけていた数日前、「注文が多く、遅くなったことをお詫びします」とかなんとか言い訳をしたためた文書やらチラシやらを添えて電子辞書が届いた。

 代金引き換えで、四千数百円。私が注文しようとした折、社員の一人が「安すぎますよ」と助言してくれたのだが、耳を貸しておけば良かったと後悔してみても後の祭りである。メーカーが耳に馴染みの一流でも、箱に印刷された「漢字が身近に 英語が手軽に!」のキャッチフレーズも、半世紀も辞書を引くことになれた私の指には何の意味もない。使いこなせる人間にとっては、大変便利なモノかも知れないが、キーを一個一個押す行為も、漢字や英単語が一個ずつ表示されるディスプレイも、あぁ…ダメです。この違和感、例えてみれば、数字だけが表示されるデジタル時計と、針の傾きで時間の体積が感じ取れるアナログ時計の違い。おじさんには耐えられない、です。

 説明書を眺めつつ、十分ほどいじくった後、目の前からすぐに消し去りたいと、「誰か、使う人はいないかね」と事務所にいる者たちに助けを求めたのだった。記者の一人が、救ってくれた。「ほら、九日号の紙面に載せた、中国に贈ればいいじゃないですか」と。

 前週号を読んでいただいただろうか。旭川商業高校の大友勝広教諭が、中国で日本語を学んでいる学生に国語辞典を贈る活動を続けているという記事。十五年ほど前、旅先の上海でたまたま立ち寄った土産店で、働きながら日本語を勉強している学生が持っている国語辞典が、紙質も製本も粗悪な中国製の“コピー辞典”だったことに心動かされたのがきっかけ。以来、周りの友人・知人にも呼び掛けて、使わなくなった辞書を集めて贈る活動を続けているという。記事は「辞典を贈るという活動は地味なものですが、言語もひとつの文化です。言葉を通してお互いの理解が深まれば、日中友好にもつながります」という大友教諭の言葉を紹介していた。

 取材した記者が言う。「先生は、学生の習熟レベルに合った辞典が必要だから、あまり古いものや傷んでいるものでなければ、小学生向けから広辞苑まで、何でもいいって言ってましたよ。この電子辞書も使ってくれる人がいて、喜ばれるんじゃないですか」と。あぁ、アホなアナログオヤジの衝動買いが、もしかしたら、日本語を学んでいる中国の学生か、子どもか、誰かの役に立つかも知れない。悔恨の念から、ちょっと解放された電子辞書衝動買い騒動の顛末でありました。

 ちなみに、大友教諭の連絡先は、旭川商業高校(曙三ノ三、TEL22―3556)です。いささか長い枕はここまで。

 三月二日付の本欄「朝鮮学校は授業料無償化から除外」について、読者から手紙が届いた。住所・氏名が記されているが年齢は分からない。女性の読者である。以下、要約して紹介する。

 ――三月二日号の「直言」の中に、民主党が昨夏の衆院選挙のマニフェストで掲げた高校の授業料無償化に関して、鳩山・民主党政権が朝鮮学校は対象外とするのは、形を変えた人種差別ではないかとありました。友愛でもなんでもないじゃないか、とも書かれていました。

 新聞やテレビでは、朝鮮学校に通うのは、北朝鮮の国籍を持つ子どもばかりではなく、韓国籍の子が半数以上で、中国籍、日本国籍の子もいるそうです。日本で暮らしても、先祖の母国である朝鮮の言葉や文化を守りたいという強い意識があるのでしょう。その気持ちは尊重しなければいけないと私は思います。

 朝鮮学校で学んでいる子どもたちが、将来北朝鮮に帰国する可能性は、国交のない現状を考えても限りなく低いと思われます。日本国に「おまえたちは授業料無償化の対象外だ」と差別された子どもたちは、これからの長い人生、この国や国民に対してどんな感情を抱いて生きていくのでしょう。政治家たちも、拉致や核の問題と同一の次元で対象外にすべしと叫ぶ人たちも、想像力が欠如した人たちだと、同じ日本人として悲しくなります。

 私の友人に、朝鮮の男性と結婚した人がいます。もう随分前のことですが、彼女が少し肩身を狭そうにして「夫は北なの」と告げた時の表情をはっきり憶えています。この問題が落ち着いたら、久し振りに彼女に連絡しようと思っています。

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