車で移動中、大相撲中継が始まった。腕白横綱の朝青龍の姿を見ることが出来なくなった今場所は、何となく、あら、お相撲始まっていたのね、ほどの印象。CDの落語に切り替えようかと思ったところで、新十両のインタビューに対する、その日の解説者・北の富士親方の声に耳が反応した。

 「新十両が、横綱と対戦してみたいなんて、そんな大それた話をすることは、私の時代には考えられませんでしたね」と当惑しているような、怒っているような、嘆かわしく感じているような、一種複雑な声色で、「まぁ、いい時代になったのか、そうでないのか、分かりませんけどね」、そんな主旨の話をした。

 新人類世代と呼ばれた一九六〇年代から七〇年代生まれの人たちの子どもが社会に出てくる時代だ。「ウエスタンマインド」だの「ネアカ」だのという言葉が流行り、謙虚で、控え目な性格が否定され、軽く、明るい、物怖じしない性格が賞賛され始めたのは、七〇年代から八〇年代にかけてだったか。

 そして、パソコン、インターネット、携帯電話、仮想現実の世界…、元横綱の嘆きのような声に、ある種の同調感を覚える自分は、もしかして相当時代遅れの人間なのかも知れないと、少し落ち込んだ。

 過日お会いした大学の先生が教え子の気質の変化について語った話である。いわく、「最近の学生って、すごく良い子なんです。こちらの話をきちっと聞くし、与えられた課題もそこそここなす。でも、独創的な発想というのかな、こちらがハッとするような一種変わった思考というのかな、そんな子が本当にいなくなりましたね。良い意味でも、逆の意味でも」。 「どうもね、ゆとり教育の洗礼を受けた子どもたちが入学してくるようになった、ここ五、六年ほど前から、それが顕著になった気がしてならないんですよ。総合学習の時間など、ゆとり教育が本格的に導入されたのは〇二年度からですから。どうしてそうなったか、検証してはいないんですが、その現象はうちの大学だけではないと思いますよ」。

 自民党を離党した鳩山邦夫・元総務相が、坂本龍馬の親戚だったんだと。邦夫氏と、兄の鳩山由紀夫総理大臣のいとこだかはとこの妻のいとこだかはとこが、龍馬の三人の姉のうちの誰かの曾孫だか、玄孫に当たるのだそうな。おいおい、それで薩長連合の故事を持ち出して、「与謝野馨元財務相、舛添要一前厚生労働相を結び付ける幕末の坂本龍馬のような接着剤的なことができたら本望だ」の発言ですか。

 この方、アルカイダに友人がいるだの、草彅剛に対する「最低の人間だ」発言だの、お騒がせオジサン、目立ちたがり屋なのね。東大法学部卒で、学生時代は勉強ができるので有名だったそうな。家人とそんな話をしながら「学校のお勉強ができるのと、頭がいいのとは、さほど関連性がないということを教えてくれたという意味では、国民に対する貢献度は高いよね」との結論に達した。

 それにしても、土佐の高知の友人などは、鰹のたたきを肴に「酔鯨」か「司牡丹」をあおりつつ、「龍馬が草葉の陰で泣いちょられるぜよー、ハハハ」と大笑いしていることだろう。

 日本経済新聞社グループの日経BP社が発行する月刊誌「日経トップリーダー」の三月号の表紙を見て、いささか驚き、うれしくなった。旭川の家具メーカー、カンディハウスの長原實会長が、自社製のテーブルを前に、にこやかな笑顔を見せている。今号のトップ記事は「激変市場の10年生存戦略」。カンディハウスの創業と家具産地としての旭川の歴史を辿りながら、「『消費者の声』で苦境突破」の見出しで、同社の企業戦略に焦点を当てた記事である。

 長原会長の写真のクレジットに「家具産地の北海道旭川市は婚礼家具の需要減で窮地に陥ったが、長原会長は先進的なデザインを取り入れたインテリアで新たな市場を開拓した。業界の『常識』に背を向け、消費者の声を聞き続けた」とある。

 長原会長とは、弊紙の創刊に支援をいただいて以来、時折お会いして話を聞かせていただいている。“大それた”話ではあるが、若輩者の私の目に映る氏を表現させていただけば、「頑固にして柔軟、エネルギッシュ。明確な職人気質を備えたデザイナー。そして先見性と放縦・緻密を併せ持つ企業経営者」。

 厳しい経済状況が続き、国の政権運営も定まらない中で、巷間、地域企業の浮沈が云々される。カンディハウスの生き残り戦略を取り上げた記事のサブタイトルは「春が来なくても 生き残る!」だ――。

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