寒い春だ。畏敬する友人の農家・K氏の水田で米づくり体験をするようになって三年目。過日、雨の中で、田起しをした。まずは、あらかじめ運ばれて、水田に幾つもの小さな山を作っている堆肥をスコップを使って出来るだけ均等に撒き散らす作業。スコップを振るう時間よりも、スコップを杖にして呼吸を整える時間の方が多い、という体たらくである。

 K氏によれば、トラクターが登場する前、昭和四十年代までは、雪があるうちに馬橇で堆肥を運び込み、三町歩もの水田でこの作業を行ったのだそうだ。わずか一反四畝の我が田んぼ、最初は一生終わらない作業のように思えたが、この労働が、秋に黄金色の稲穂をもたらすのだと自分に言い聞かせながら、何とか撒き終えた。これだけでも農家の血脈は信用できる、そう実感できる作業だった。そして、トラクターで田起し。一週間後に代掻き、そして月末には、いよいよ田植えだ。

 時折落ちてくる雨の下で、ふと、放射能禍で農地を追われたフクシマの農家のことを思った。枕はここまで。

 「しつこいぞ」と思われるかも知れないが、今週もそのフクシマについて書く。福島第一原発が危機的な状況に陥り、連日の報道を読んだり観たり、書いたりしながら、どうも気持ちの整理がつかない部分があることに気が付いた。この事態は、私たちのこれまでの政治や経済、社会に対する考え方や価値観の清算を迫っているのではないか、ぼんやりとしたものではあるが、そんな感覚である。

(工藤 稔)

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