私が生きて来た時代、その間の教育環境、そして出会った人や本の影響かとも思うし、狭い交友関係に限った傾向だったのかも知れないのだが、「心優 しき無頼」に対する強い憧れがあった。いや、過去形ではなく、今も私の周りにいらっしゃる畏敬する先輩たちが発するその匂いに、「ああありたい」「あのよ うになりたい」と思う。

 その憧れの「心優しき無頼」を象徴するのは、例えば誰? と問われれば、「野坂昭如かな」と答える。「火垂の墓」のあの野坂である。大酒を飲み、口角泡を飛ばして激論し、時には殴り合いのけんかも辞さず、色恋に 正直で、右翼左翼のちんけなイデオロギーを鼻で笑い、そのくせ義理には堅く、隠れて博識。加えて新しいモノには飛びつかない。そんな男像だ。

 「女」というものの本性は正直、わからねぇから、ちょっと詳しい「男」に限って言えば、昭和が終わったあたりからだろうか、妙に礼儀正しかった り、妙に素直だったり、不平や不満を体で表現しない青年が多くなった。今や壮年に達しようという我がガキ共の生長の過程を思い浮かべても、そうした傾きが あると感じる。その帰結としてなのか、「心優しき無頼」を体現する大人の男が世の中からほとんど消えちゃった。私の周りにいてくれる先輩諸氏は、いずれも 戦前から戦中の生まれなのだが、稀有な生き残りと言えるだろう。

 なぜ、こんな話を切り出したかと言えば、読者のMさんから次のようなハガキをいただいたからである。何度かお便りをいただいている愛読者だ。

(工藤 稔)

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