自宅横の、日当たりの良くない小さな畑の雪がやっと全部消えた。朝、鍬と剣先スコップを手に畑に出る。堆肥をすき込みながら、ここにはトマトとナス、長ネギは今年もあの辺りに、オクラの苗を早めに育てて十本植えようか…。放射線量の心配をせずに野菜を作ることができる幸せをかみしめる朝だ。

 いや真面目な話、さほど想像力が豊かではない私にしては、遠く離れた、見ず知らずの方たちの、降って湧いたごとき不幸に思いを致すなど、稀有なことと言っていい。あと一カ月もしたら、頭を覗かせるだろうアスパラガスに肥料を与え、「早く出ておいでー」と言葉をかけつつ、農地を追われた福島の農業者たちの無念について、繰り返し思う。その責任の所在について思う。

 誰に言うでもなく、期待するのはもうやめよう、もう限界だなどと悪態をつきながら、それでも政権交代は必要だったのだ、小学校から習って来た民主主義なる社会システムは、ことほどさように手間隙がかかったり、行きつ戻りつしてこそ民主主義なのだ、決まるのが遅いから良いこともいっぱいあるのだ、速いから良いというものでもないのだ、などと幾度も幾度も思い直している。

 そんな日々の中で、四月二十一日付け読売新聞夕刊に載った「食品独自基準やめて 農水省 放射性物質 スーパーなどに通知」の三段見出しの記事を読まされてもなお、それでもやっぱり政権交代は無駄ではなかったのだ、と歯を食いしばっている。その記事は――

(工藤 稔)

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