朝、社に女性の読者から電話があった。「十条通りから宮下通りの十二・十三丁目の縦通りの街路樹が、無残な姿に切られています。どうしてこんなことになるのでしょう」。

 取りあえず、その「中央橋通」の現場を見に行った。通りの両側に、樹木の上部が切り取られ、枝もすべて払われた丸太が並んでいた。幹に巻かれて赤いテープは、伐採予定の印だろうか。十条から宮下通りまで、丸太にされた街路樹が続いている。

 社に戻ると電話をくれた女性からファクスが届いていた。

 「子ども達が育ち、木が芽ぶいていくこの三月に、あんなにたくさんの木を切っていいのか? 木だって育ち生きているんです。今まで手を加えずほったらかしにしていて、せっかく大きくなってきたのに、最後は切られるだけなの? いくら屋久島の杉が立派でも、○○の桜がステキでも私達は旭川に住んでいる。旭川の自然が豊かであってほしいと思っている。娘が『旭川って木を大切にしないまちなんだね』とひと言。常磐公園、春光園の春夏秋冬の変化、鳥の巣、木の実、子どもの時に遊んだ場所の記憶すらも奪われてしまう木の伐採。元気をなくした朝に、大地に根をはって両枝を広げて立ち、葉をキラキラさせている木を見たとき、お母さんはこの木なんだ、子どものために両手を広げてキラキラ輝いていたい! と元気をもらった木ももうない。だれが、いつ決めて、いつ切ったのか。旭川の市民として許せない。かなしすぎます」

(工藤 稔)

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