「集団的自衛権」とは、自国が攻撃を受けていなくても、他国同士の戦争に参加し、一方の国を防衛する権利を指す。「戦争の放棄」を掲げる憲法を持つ私たちの国は、「権利はあるが、憲法の制約上、行使は許されない」という解釈を堅持して来た。

 「自衛隊」という「軍隊のようだけれど、軍隊とは呼ばない」摩訶不思議な軍事組織を持ちながら、魔法のように、手品のように、「専守防衛」の概念を駆使して一人の戦死者も出さず、隊員の誰一人として殺人を犯すことなく、敗戦から六十九年が経過したのである。

 ちょっと期待した「平和の党」は、あっけないほど無抵抗の体で白旗を揚げたのにいささか鼻白んだりして。それにしても、七月一日の夜のテレビニュース。米国の要請のままに自衛隊を地球の裏側まで出しますよ、という宿願の集団的自衛権発動の自由を手に入れたことに高揚感を漂わす安倍首相の記者会見の場で、記者たちの総花的な、何度も耳にした、どうでもいいような質問を聞いて、イライラ感が募った。もっと突っ込めよと怒鳴ってしまった。

 私たちが知りたいのは、なぜ、自衛隊の海外派兵を可能にするという歴史的な大転換に、憲法改定という王道を選ばなかったのか。「下駄の雪」と揶揄される与党・公明党との談合が、国民に理解されると考えるか。首相は「憲法解釈の基本的考えは、変わることはない」と強弁するが、そうならばなぜ、閣議決定などという手続きを踏む必要があるのか。「国民を代表して首相の本音を引き出す役割をお前たちは放棄しているじゃないか」と叫んでテーブルを叩く私を、向かいに座った家人が憐れむような顔で眺めている。

(工藤 稔)

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