極小とはいえ報道機関の末席に名を連ねる会社の人間としては、不適切な発言なのかも知れないが、かなりの違和感を持って、このところの「文春・新潮」対「朝日」の騒動を受け止めている。

 文春と新潮の週刊誌二誌の広告が、むご過ぎないか、と思うのだ。朝日をはじめ新聞各紙の九月十二日付朝刊に載った文春のトップ記事の見出しは「朝日新聞が死んだ日」だ。隣の新潮の見出し「おごる『朝日』は久しからず」、こちらは何となく我慢できそうな気もする。

 ちなみに一週間前、六日付朝日に掲載された文春の大見出しは「朝日新聞の断末魔」。新潮は次号と同じ「おごる『朝日』は久しからず」、何となく抑制が利いている印象がある。

 文春の「断末魔」「死んだ日」、この文言はあまりに虐待じみていないか。考えてもみなよ、朝日の社員やその家族、縁者が、朝届いた朝日新聞を広げると、そこに「朝日新聞が死んだ日」の大見出しだ。広告を掲載している、その本体に対して、ここまで言っていいのか、というレベルの常軌を逸した悪口雑言。「社会の公器であることを忘れたのか」「表現の自由を踏みにじるのか」という声高な批判は正当なのだろう。だが、誤報を批判するのと、「死ね」と脅すのは次元が違う話だと思う。

(工藤 稔)

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