前号では、昨年十月に亡くなった長原實さんを先頭に地道な活動を続けた「旭川に公立『ものづくり大学』の開設を目指す市民の会」の勝利宣言について書いた。その上で、西川市長が打ち出した、旭川大学(山内亮史理事長・学長)の公立化構想について、「姑息、狡猾の匂いが漂う」と、いささか不穏当な表現もした。今号では、その意味について説明しようと思う。
旭川市は私立の旭川大学に対して、公立化に向けた条件として四項目を提示し、その一つが「大学施設の耐震化を行うこと(工費は九~十億円。国の補助があっても約六億円必要)」である。前号で、私は「旭川市の魂胆が見える。要するに旭川大学が持つ、現金三十五億円、総資産八十億円をあてにして、『公立大学』を手に入れようと考えている。こういう手口を人の褌(ふんどし)で相撲を取る、と言う」と書いた。
三選を果たした二〇一四年秋の選挙で、対立候補の主張と競うかのように「公立大学の開設」を公約に掲げた西川市長は、困ったのだろう。新しい市役所庁舎に百五十億円、事業主体は第三セクターとはいえ自ら社長を務める旭川空港ビルの国際線ターミナル増築に四十六億円、四億円を予定した駅前のキャノピーは西武の閉店宣言で幸か不幸か尻切れトンボになったけれど、緑が丘のコミュニティ施設に六億円、東光公園に武道館建設…。選挙で掲げた公約は実現したい、しかし出る金は出来る限り圧縮しなければならない。困って悩んだ末に、二〇一五年度予算に計上した五百二十万円を不執行にしてまで、ひねり出した結論が、旭川大学の公立化案だった。
市政上のエピソードを紹介しよう。長い不遇の時代を経て、旭山動物園が「奇跡」と評されるほどの注目を浴び、その名が一躍全国区になろうとしていた十数年前、当時の小菅正夫園長が、こんな話をしてくれたのを憶えている。言葉は少し違っているかも知れないが、主旨は次の通りだ。十六年続いた坂東徹市政が終わり、菅原功一市長(一九九四―二〇〇六)になって、二期目の時代に聞いた逸話である。

(工藤 稔)

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