優佳良織の木内和博さんを偲ぶ会には、友人や知己ら三百五十人以上の方たちが集ってくれた=4面参照。人数を想定できない状況で裏方を務めた一人として、雪の美術館のホールから参列者があふれる光景に、胸をなでおろす思いだった。その裏話というか、訂正というか、お詫びを書かせてもらう。

 参列してくれた方に、「しおり」を手渡した。木内さんの子ども時代から晩年まで、思い出の写真を八葉、簡単なクレジットを付けて掲載した。その最後に配した略歴に、「二〇一六年十一月十三日、肺がんのため死去。七十歳」とあった。原稿を書いたのは、私。

 当日、木内さんの主治医も札幌から見えられていた。その医師に猛烈な抗議を受けた。「医者の名誉の問題だ」と。いわく、「木内さんの肺がんは完治したんだ。亡くなったのは、食道がんが原因だ。肺がんのため死去なんてデマを書かれるなら、私は今日ここに来なかった」と。私の勝手で安易な思い込みによる、大変な誤報だった。

 会の司会を務めたFMりべーるのマダム・ケロコさんにお願いし、会の冒頭で「亡くなったのは、食道がんが原因でした」と丁寧に訂正をしていただいた。主治医もウンウンとうなづいてくれて、少し気が楽になった。枕はここまで。

 あくまでも、例えばですよ、旭川市議会で、西川市政野党の自民党の議員の質問に、西川将人市長が「私の考え方は、北海道新聞に詳しく書いてあるから、それを熟読してください」と答弁したら、どんなことになるのだろう。そんな答弁が通用するとは思えない。地方議会では許されなくて、「安倍一強」の異常国会では通用する不思議。

 報道によると、安倍晋三首相は八日の衆院予算委員会で、民進党議員の、憲法記念日に開かれた改憲派の集会に寄せたビデオメッセージで、安倍首相が戦争放棄や戦力不保持を定めた憲法九条の一項、二項を残したまま、自衛隊の存在を九条に明記するなどの改憲案を示したことについて真意を質したのに対し、「内閣総理大臣として(この場に)立っている」「内閣総理大臣としての責任における答弁に限定している」などと答弁を拒んだ。そして、「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてある。ぜひ熟読して頂いてもいい」と述べた。

 私は、たまたま車で移動中で、ラジオ中継でこの場面を生で聞いた。絶句した。驚いて思わずブレーキを踏んでしまった。翌日、九日付朝日によると、委員会室は騒然とし、浜田靖一委員長(自民)が首相に「一部新聞社の件等々あったが、この場では不適切なので、今後気をつけて頂きたい」と注意したという。

 

(工藤 稔)

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