「共謀罪」法案が、自・公の〝だまし打ち〟で成立した翌十五日朝、会社で新聞を読んでいると、出社して掃除をしている女子社員が真顔で言う。「うちの新聞って政権を批判し続けているから、編集長も記者も、公益に反する活動をしていると目を付けられて、共謀罪の容疑で逮捕されてしまうかもしれませんね。そうなったら、新聞は休刊になっちゃうんでしょうか」。

 弊紙がどうなるのかは別にして、自由にものが言えない時代が、そう遠くない将来、やって来る。事件や問題や疑惑が矢継ぎ早に、あるいは同時多発的に起きて、じっくり考えたり、想像力を働かせたり、多面的に考察したりする時間を与えられないまま、猛スピードで場面が転換して行く。目先をコロコロ変えられて、私たち国民は立ちくらみの状態なんじゃないか。

 ここは立ち止まって、冷静に考えよう。「テロ等準備罪」と偽称してまで「共謀罪」を創設したい政権の狙いは何だろう。二〇一三年、特定秘密保護法、二〇一五年、安全保障法制、そしてこの先には安倍首相が突っ走る憲法改悪が待つ。その方向を如実に表現しているのは、安倍政権が掲げる「日本を取り戻す」という標語であろう。

 園児に教育勅語を暗唱させる教育を施す幼稚園の理事長を「私の考え方に非常に共鳴している方」と称賛する、「教育勅語の核は取り戻すべきだ」と明言してはばからない極右の政治家を党の要職や大臣に起用する、最近のこの言動だけ取り上げても、安倍晋三という政治家が言う「取り戻す」べき国とは、戦前の日本、戦争ができる国、国民がお国に喜んで命を差し出す「美しい国」であることは疑いの余地がない。

 四月十九日付朝日デジタルで、子どもの頃に戦争を経験し、「日本のいちばん長い日」など昭和史を題材とした著作が多数ある作家・半藤一利さん(86)のインタビュー記事を読んだ。そのさわりに次のようにある。

 ――向島区(現・墨田区)の区議だったおやじは「日本は戦争に負ける」なんて言うもんだから、治安維持法違反で3回警察に引っ張られた。

 当時は戦争遂行のための「隣組」があった。「助けられたり、助けたり」という歌詞の明るい歌もあるが、住民同士を相互監視させる機能も果たした。いつの世も、民衆の中には政府に協力的な人がいる。「刺す」という言い方もあったけれど、おやじを密告した人がいたんだろう。

 歴史を研究してきた経験から言えるのは、戦争をする国家は必ず反戦を訴える人物を押さえつけようとするということだ。昔は治安維持法が使われたが、いまは「共謀罪」がそれに取って代わろうとしている。内心の自由を侵害するという点ではよく似ている。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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