記者とかカメラマンとか呼ばれる人の仕事は、普通の人が立ち入ることが出来ない場所に足を踏み入れて、そこの情報なり情景なりを伝える、それが生業のはずだ。だから尊敬されるし、憧れの対象にもなる。そう理解している。

 台風十八号が北海道に接近し、食べマルシェの三日目が中止になった十八日、雨がぱらついて畑仕事にも出られないから、猫の腹をなぜながらテレビの前のソファでうたた寝をしていた。NHKテレビが台風襲来の道内各地の様子を中継している。

 ここ何年かだと思うのだが、台風だったり、大雨だったり、災害を伝えるNHKテレビの映像が、「○○放送局前の今の様子です」という例が少なくない。その映像を見せられる度に、「現場に出て行けよ」「お前ら恥ずかしくないのかよ」とテレビの前で悪態をつく私を家人は黙って眺めているのが常だ。

 「ねえねえ、今度は放送局の中からよ」と、家人が寝ぼけ眼の私を揺り起こした。見れば、釧路放送局の建物の中からの映像が映っている。放送局前の戸外にさえ出ない、安全な建物の中でカメラを回す。民放の記者やカメラマンが、風に飛ばされそうになりながら、波が打ち寄せる海の近くで中継する姿とのギャップはどう考えればいいのだろう。

 家人が「安倍さんへの気遣いを要求される現場の、抗議の意味ってことなのかしら。命懸けの仕事をしない、ジャーナリズムに反する姿勢を視聴者に見せる、いわばストライキじゃないの?」とつぶやく。そういう見方もあったか…。気骨ある、NHKの現場の記者やカメラマンの今後に期待しようってか。枕はここまで。

 優佳良織の存続を願う市民の会の会員の一人として、署名活動に関わっている。十七日、「北の恵み 食べマルシェ」が開かれている常磐公園の入り口で、初めての街頭署名を行った。集まったのは、連休ということで日取りが合わないメンバーも少なからずいて、六人。街頭署名のために新調した「優佳良織」のロゴを染め抜いた「のぼり」を肩に、いざ、常磐公園へ。

 実は、二〇一一年夏から、長原實さん(カンディハウス創業者・故人)を先頭に取り組んだ、「ものづくり大学」の開学を目指す街頭署名の大変さが頭にあって、気も足も重かった。声をかけて足を止めてもらい、「ものづくり大学の何たるか」を説明し、少し理解した気分になってもらって、やっと署名をいただける。口下手の私には苦行のような時間だった。

 ところが…。のぼりの「優佳良織」の文字を見て、「署名しますよ」と向こうから近寄って来る人がいる。「頑張ってくださいね」「何とか残ればいいね」と声をかけてくれる。乳母車に赤ちゃんを乗せた若いカップルが、気持ちよく署名に応じてくれる。「署名用紙、何枚か預かっていっていいかしら」と申し出てくれる。等々、二時間の署名で、集まったのは四百七十五筆だったが、半世紀以上も織り続けられ、地元に愛された優佳良織の底力を見せつけられる体験だった。一緒に街頭に立った、元優佳良織の職員の女性は、涙を拭い、声を詰まらせながら、署名をしてくれた人に頭を下げた。その姿に、もらい泣きをしそうになったのだった。

(工藤 稔)

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