社会全体が、大きく変わる時代に私たちは生きているのだなぁと、改めて思った。

 四日夜、市内のホテルで開かれた衆院選道六区の立候補予定者の公開討論会を取材を兼ねて聞きに行った。集まったのは五十人ほど。突然の解散、小池新党の誕生、民進党の解党、そしてリベラル派による新党結成と、目まぐるしく変化する情勢下、押すな押すなとまではいかなくても、もう少し人が集まるだろうと予測していたから、いささか拍子抜けした。

 おそらく、こうしたオーソドックスな形態の選挙イベントは、若い人だけでなく多くの世代の関心を引かなくなりつつあるのかも知れない。スマホを使ったり、SNSを駆使したり、団塊世代の末尾に連なるオジサンには〝こざかしい〟と感じる手法なり、広報なりが当たり前になった、ということか。一抹の寂寥を感じながら、三人の候補予定者の話に耳を傾けた。

 この時点で佐々木隆博氏が、民進党のリベラル派議員が結党する立憲民主党から出馬することが決まっていた。同時に、出馬を予定していた共産党の荻生和敏氏は、「安倍一強政権の阻止に向けて、野党統一候補を」と呼び掛ける市民団体の要請に応じる形で、出馬を取り下げる流れが確実視されていた。

 前回、二〇一四年(平成二十六年)十二月十四日に行われた選挙を振り返ってみよう。今回と同じように、いやある意味では真逆で、安倍首相が消費税の一〇%への増税先延ばしを大した議論もなく決めておいて、「その是非を国民に問う」として、衆議院の四年の任期の半分にも満たない、しかも年末のゴタゴタの時期に行った〝くそったれ選挙〟、思い出しましたか?

 首相の思惑通り投票率は低調で、旭川市を含む道六区は五一%。全国的には自・公与党の大勝だったが、ここ六区は、民主(当時)の佐々木氏が十万四千五百九十五票を獲得し、自民の今津氏に二千八百四十七票の僅差で競り勝った。今津氏は、道内の小選挙区で自民候補が軒並み当選したこともあり、惜敗率九七・二八で比例復活。六区から二人の衆議を国会に送り出す結果となった。

 その選挙には共産党の荻生氏も出馬して、二万四千六百五十六票を獲得している。区割りの変更などもあったが、小選挙区比例代表並立制になった一九九六年(平成八年)以降、共産党候補史上、最高の得票数だった。

 今回、その荻生氏が出馬を取りやめた。前回の得票がそのまま統一候補の佐々木氏に流れるとは限らないし、何より民主党が民進党になり、解散の後に小池新党「希望の党」と「立憲民主党」、無所属に解体された唐突感もマイナスに働く面もあるだろう。だが、低投票率だった前回、投票所に足を運び、「荻生」と書いた有権者が、「今津」に転向する確率はそうは高くないだろう。二万四千六百五十六票の大半の行方はおのずと明らかだ。比例復活の目も、比例単独で二枠が埋まる状況では厳しいか。

 そうした事情もあってか、公開討論会での今津氏の口調ははっきり言って冴えなかった。森友・加計学園の疑惑を隠すためだとの批判がある突然の解散について、「十分な説明がなされていないという批判については安倍総理は反省していると思うが、少子高齢化や北朝鮮問題という国難を解決しなければならない」などと、最初の質問で安倍首相に代わって「大義なき解散」の弁解をしなければならない姿にいささか憐れみさえ感じた。

(工藤 稔)

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