「優佳良織の存続を願う市民の会」が取り組んでいる署名が四万筆を超えた。市民有志が八月初旬からスタートした署名運動は、優佳良織の文化財的価値や、旭川観光に果たしてきた役割を再認識してもらい、旭川市に対して織物としての優佳良織の技術の継承と、併せて北海道伝統美術工芸村(工芸館、染織美術館、雪の美術館)の有効活用を求めるのが目的だ。

 仕事柄、様々な署名運動を取材したし、市民・住民の一人として運動に関わって署名集めに従事したりもした。直近では、「赤レンガ庁舎を解体せずに活用しよう」や「旭川にものづくり大学の開設を」と求める署名。古くは、バブル経済が弾けた時期の二十五年前、「突哨山を公有地として買い取って、市民の公園に」との要望を掲げ、旭川市の人口の十分の一、三万六千筆を目標に、仲間たちと毎週末、買物公園に立って街頭署名を呼び掛けた。

 私は周りの友人知己に引っ張られてオロオロ動き回っていただけなのだが、みなさん、本当に真剣で、文字通り東奔西走して、頭を下げてお願いし、一年以上の時間をかけて目標の三万人なり、三万五千人分の署名を集めたものだった。そうした体験から考えれば、今回の「市民の会」による署名集めは驚異的なペースだ。

 九月十七日、「北の恵み 食べマルシェ」が開かれていた常磐公園の入り口で、会員五人とともに署名をお願いした。「優佳良織の存続を」と染め抜いた幟(のぼり)を手に立っていると、こちらから声を掛けていないのに、「優佳良織の署名ですか?」と近付いて来てくれる人が少なからずいるのに、本当にびっくりした。「どうにかして残ってもらいたいですね」「いま、どんな状況なんですか?」「頑張ってくださいね」などなど、何人の方に話し掛けられただろう。

 「織元」と呼ばれた木内綾さん(一九二四―二〇〇六)が一九六二年(昭和三十七年)、三条七丁目に小さな工房を開き、以来、半世紀以上にわたって織り続けられてきた優佳良織が、市民に「このまちの織物」「私たちの工芸品」として受け入れられていることをまざまざと知らされる街頭署名だった。

 市民の会事務局長・菅原吉孝さん(60)は、「十一月末までに五万筆、という目標は達成できると確信しています。私たち自身も驚くほどの関心の高さです。優佳良織がこれまで、旭川とこの地域に、どれほど大きな貢献をしてきたか、今回の署名運動で改めて実感しています」と話す。

(工藤 稔)

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