旭川で、初めて新聞に関わる仕事に就いてから来年で三十年になる。たくさんの人とお会いして、話を聞き、支えられ、ご恩を受ける一方で、自覚がないまま不義理をしたり、裏切ったりして来たのだと思う。年金をいただく歳になったせいか、師走の夜半、眠れぬ布団の中で、粗雑に生きて来た半生のあれこれを思い出しながら、悔み切れない刹那を悔んで歯ぎしりしたりする。枕はここまで。

 優佳良織の存続を願う市民の会が二十日、西川市長と笠木市議会議長に、八万四千三百四十二筆の署名簿を添えて、要望書を提出した。

 少しおさらいしよう。優佳良織工芸館などを運営していた北海道伝統美術工芸村は、実質的な経営者だった木内和博さんが亡くなった半月後の昨年十二月、経営破綻し、破産手続きに入った。負債総額は約十一億五千万円。旭川市は固定資産税の滞納分五億四千万円の債権を持つ、債権者。現在、破産管財人の弁護士が土地や建物、優佳良織の作品など収蔵品の任意売却にあたっているが、進展はないとされる。

 木内さんを「偲ぶ会」が開かれたのは、その死から半年後の五月十日。会場の雪の美術館には三百五十人が集まった。十億円を超える借金を抱えて潰れた企業の経営者を偲ぶ会に、友人らでつくる発起人会のメンバーの予測を超えて、少なくない債権を持つ人たちも含めて、これほど多くの参列者が足を運んだ。西川市長、今津寛代議士(当時、高校の同期生)、奈良・薬師寺の長老、山田宏紀・三浦綾子記念文学館館長、そして発起人代表の吉竹隆男・ヨシタケグループ会長が追悼の言葉を述べたのだった。

 「存続を願う」署名活動は、この偲ぶ会が端緒になり、市民有志の手で五万筆を目標に、八月に始まった。
 「倒産した民間企業をどうしろと言うわけ?」「あの場所で、また同じことをやったって、また潰れるに決まってるだろう」「行政に頼る、悪しき北海道民の典型じゃないの?」――。

 署名をお願いする中で、賛同できない声も何人かから聞かされた。いずれも間違いではないが、正解でもない。

 市民の会が求めるのは、倒産した企業の救済ではない。求めるのは、半世紀を超えて織り続けられ、市民はもとより全道、全国にファンが広がる織物工芸としての「優佳良織」を残し、次代に引き継ぐ手立てを行政としてこうじてほしい、ということ。そして、純粋に民間企業だけで地域の伝統工芸を維持し、百年を超えて伝承するのは困難だから、行政を中心に何らかの合理的な公的支援の枠組みを構築できないか、という願いである。

(工藤 稔)

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