あぁ新聞って、活字って、やっぱりすごいなぁ。と感動することが時折ある。そして、こんな記事が書けたらなぁ。とうらやましく思ったりする。十九日付朝日新聞朝刊、高橋純子編集委員のコラム『政治断簡』もまさしくそうだった。エキスを紹介しよう。書き出しはこうだ。

――3月12日午後7時。財務省が森友学園との国有地取引に関する決裁文書の改ざんを認めた日の首相官邸前に身を置き、東日本大震災から7年という歳月をかみしめた。

「改ざんするな」「佐川じゃなくて安倍が辞めろ」

シュプレヒコールが夜空に響く。(中略)「こんな人たち」の怒りの可視化。それがデモだ。

高橋さんは、二十六年前に入社面接で訪ねた時に、朝日新聞本社に飾ってあった谷川俊太郎の詩「朝日とともに」を見つけ、「心を震わせた」と書く。その詩は――

新聞はもうひとつの眼/欲望のせめぎあう巷にかくされた/かずかずの人間の劇を/ときにわらいときに怒りときに涙し/それはみつめる
高橋さんは、怒る。次のように。

――現政権は怒りや異論に耳を貸さず、時に嘲笑し、圧倒的な数の力でねじふせ、国会を議論の場ではなく、議決の場におとしめてきた。陰に陽に発せられるメッセージは「抵抗しても無駄ですよ」。公文書を改ざんし、国会にうそをつくという未曽有の事態はその延長にある。「国会に対する冒涜だ」と憤ってみせている与党だが、国会の権威をコツコツと掘り崩してきたのはいったい誰なのか。政治の罪は深い。なのに責任をとろうとせず、居直り居座る政治家たち。なんとまあ美しい国の見事な1億総活躍であろうか。

そして、安倍政権は絶対的権力だと断じ、高橋さんは書く。

権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。

ゆえに権力に対しては、怒るべき時にきっちり怒らなければならない。公文書が改ざんされる国に成り下がったのだからなおさら、自分の身体をさらし、声を張って、この時代を歴史に刻むしかない。

この後に、谷川俊太郎の詩の続きがあるのだが省く。

高橋さんが説くように、私たちは、いま、本気で怒らなければならない、ギリギリのところにいるのだと思う。自民党は、一連の「文書改ざん事件」で政権の支持率が急落し、安倍首相の求心力に陰りが出てきた事態の下で、憲法九条に新たな条文を設け、自衛隊を明記する方針を打ち出した。安倍首相が、昨年の憲法記念日に、読売新聞紙上で発表した「案」である。党内に異論が渦巻く中で、まさにバタバタと、安倍政権が命脈を保っている今のうちに、「やってしまえー」ということだろう。

二月二十日号の小欄で、改憲論者として知られる小林節・慶大名誉教授のインタビュー記事(赤旗日曜版)を引いて、九条の一項(戦争放棄)、二項(戦力不保持)は「そのまま」で、三項に「自衛隊」を書き込むだけだから、何も変わらないという首相のウソを暴いた。小林名誉教授は、次のように断言している。

「私は共産党のみなさんとは立場が違い、現憲法でも自衛隊は認められると思っています。その私でも、安倍首相の九条改憲には大反対です。日本が、海外で戦争できる国になるからです。(中略)首相が書き込もうとしているのは、災害救助で評価される自衛隊ではない。憲法違反として歴代政権が認めてこなかった集団的自衛権の行使を容認した『閣議決定』と、それに基づく『戦争法』を実行する『自衛隊』です。海外で武力行使ができる事実上の『軍』なのです」。

私たち国民は、今こそ怒らなければ、とんでもないことになる。二十三日、各紙は安倍政権が、放送番組の「政治的公平」などを定めた放送法四条の撤廃を検討していると報じた。

モリ・カケ疑惑で明らかなように、安倍晋三という政治家は、自分や妻のお友達のためなら国民の財産も投げ売りしてしまう、極めて仲間思いの性格らしい。加えて批判されることは大嫌い、おべっか、おべんちゃら、歯の浮くようなヨイショが大好き。いきおい出演するテレビやインタビューを受けるメディアは決まってしまう。だから、「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないですること」などとする放送法四条の規制がある現況では、知名度が低い、視聴者が限られたマイナーなチャンネルにしか出演できないわけ。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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