旭川の大学を出て旭川で活躍する〝すてきな社長3人〟が、「私がほしい大学」について語り合うシンポジウムが六月八日(金)午後六時半から、ときわ市民ホールで開かれる。旭川に公立「ものづくり大学」の開設を目指す市民の会(伊藤友一会長)が主催し、北海道中小企業家同友会道北あさひかわ支部(粟田和成支部長)が共催する。

市民の会は、東海大学旭川キャンパスが閉鎖されることに危機感を持った企業経営者らが二〇一一年に立ち上げた。先頭に立ったのは、長原實さん。日本を代表する家具メーカー、カンディハウス(創業時はインテリアセンター)の創業者で、旭川家具の名を世界に知らしめた国際家具デザインフェア旭川(IFDA)創設の立役者でもあった。

二〇一五年(平成二十七年)十月八日、肺がんで亡くなる直前まで、「旭川地域をものづくり王国にするために、公立ものづくり大学を」と、文字通り奔走された。長原さんの人となりを知らない御仁などは「家具の大学をつくるのか」と陰口をたたいたが、そんなケチな精神の持ち主ではなかった。誕生する大学が家具と無縁であっても、それが真に地域に貢献するならば一向にかまわない。私心のない方だった。そんなリーダーがいたから、旭川地域は家具のまちとして生き残ることができた。その歴史的事実には誰も異論を挟めないだろう。

会の活動と旭川市や旭川大学の動きを簡単に振り返ると。

――二〇一一年八月、市民の会が発足。法人会員三百社、個人会員千五百人。

――二〇一二年、公立大学設立を求める署名簿四万三千筆を市長と市議会議長に提出。

――二〇一三年、市は「高等教育機関に関する調査」を実施、報告書作成。

――二〇一四年、市は「高等教育を考える会議」を開催。十月、市長選候補に公立ものづくり大学開設を公約に入れるよう要望書。西川市長を含め二候補が「大学開設」を公約に掲げる。

――二〇一五年、市は大学設置検討調査費六百万円を計上したが、大半が不執行に。市民の会がリーフレット「私たちが目指す大学像」作成、市長に提出。

――二〇一六年二月、旭川大学が公立化を求める要望書を市に提出。

――二〇一七年二月、「旭川大学の公立化検討に関する有識者懇談会」開催。八月、市民の会が旭川大学「ものづくり系学部」について私案作成。市議会が旭川大学市立化についての調査特別委員会を設置、開催。

――二〇一八年四月、市は旭川大学の公立化に向けて、調査費一千万円を計上。五月、市、旭川大学、市民の会三者による第一回話し合い始まる(三回を予定)。

二〇一三年に市が行った「調査」でも、二〇一七年の「有識者懇談会」でも、公立大学の開設は、旭川を含むこの地域にとって、子どもや若者の高等教育機関という役割に留まらず、経済や文化・教養の分野への貢献はもとより、まちに活力をもたらし、地域の未来をつくると結論づけている。やむにやまれぬ思いから、市民の会を立ち上げた長原さんの口癖は、「旭川の特質を活かした大学をつくらなければ、このまちに、ひいては道北地域に、未来はないんです」だった。そして、目指すべき大学の理念は、「自然を敬い、人を愛する社会を、デザインで実現するための大学」。スケールの大きな長原さんらしく、壮大な構想を思い描いての運動だったのだ。

(工藤 稔)

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