フクシマに行ってきた。五月二十八日から三十一日までの三泊四日の日程で、津波と原発に〝やられた〟被災地を訪ねた。福島県いわき市で生まれ育った獣医師・武藤健一さん(67)に誘われての旅だった。
北海道で暮らす私たちにとって、二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災と、それに伴う巨大津波、そして東京電力福島第一原発の過酷な事故は、遠い過去の〝思い出〟になりつつある。本当に過去のことなのか、原発事故は終息し、この国の宰相が世界に向けて宣言したように「コントロールされている」のか、二〇二〇年の東京オリンピックに向けて復興は進んでいるのか、何より、除染された地に帰還を促されている人たちの安全は保証されているのか、それが知りたかった。地震・津波と放射能汚染という二重の被害を被ったフクシマの旅を工藤の視点から、三回か、四回に分けて(どれくらい書けるか分かりません。すみません)報告する。

新聞やテレビで伝えられる「避難指示解除」のニュースは、なんとなく、除染作業によって空間放射線量は下がり続け、人が暮らしても安全になったような雰囲気を醸し出す。少なくても、ニュースを受け取る私は、ざっくり「もう大丈夫なんだろうな」みたいな気分にさせられる。そうしたマスコミ報道に、具体的な空間放射線量が示されることは(ほとんど・私が知る限り)ない。「事故直後は○○マイクロシーベルト毎時(以下μSv/h)だった線量は、除染によって△△μSv/hまで下がっています」などとは伝えない。「商店街がオープンした」「小学校に子どもが帰ってきた」みたいな、明るい、前向きな情報ばかりだ。だから、フクシマは遠い過去の思い出に成り下がりつつあると思い込まされる。
出発前、友人から線量計(放射線の空間線量を測定する機器)を借りた。手のひらサイズのコンパクトなものである。試しに測ってみると、場所によって微妙に変わるが、旭川はだいたい〇・〇四~〇・〇五μSv/hの数値。道内では、どういうわけか高い方らしい。
被災地をリポートする前に確認しておこう。東電福島第一原発の事故が起きる以前、一般人の公衆被ばく限度は年間一ミリシーベルト(以下mSv)だった。今も病院のレントゲン室などの「放射線管理区域」の限度は〇・六μSv/h、年間五mSvと法律で決められている。二〇一一年以降、放射線技師の被ばく限度が二十μSv/hに引き上げられたなどというバカな話はない。当然のことである。ところが、避難指示が解除される条件の一つが、「年間二十mSv以下になることが確実であること」となった。原発事故前の二十倍に緩和されたのである。フクシマに住む人たちは、突然、放射能に対する耐性が高くなったのか?

(工藤 稔)

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