前号につづき、福島県いわき市で生まれ育った獣医師・武藤健一さん(68)に誘われて、フクシマを訪ねた旅(五月二十八―三十一日)のリポートです。

前週の小欄「フクシマ その1」を読んだ読者から、メールが届いた。

――ところでフレコンバッグについて、武藤さんは「ずいぶん減った」と仰ったようですが、減った分はいったいどこへ行ったのでしょうか? 知りたいところです。

前号で私は次のように書いた。現地でガイドをお願いした「被災地フクシマの旅」実行委員会の渡辺勝義さん(65)の案内で、国道六号線を浪江町に向かう場面である。

――震災直後を含めて幾度も被災地を訪ねている武藤さんは、「フレコンバッグがずいぶん減った」と話すが、初めての私には道路から見える場所、普通に人が生活している地域の中に、除染作業で出た土や木などが詰め込まれたフレコンバッグが四層にも五層にも積み上げられている光景にただ息を飲むしかない。

福島第一原発の爆発事故の後、まき散らされた放射能を「除染」するために、農地や宅地や学校敷地などで、表土を約十㌢はぎ取ったり、樹木や草を伐採・刈り取って、それらを詰め込んだのがフレコンバッグ。渡辺さんは、福島県全体で二千万個のフレコンバッグが出たと説明した。素材はポリエチレンなどで、容量は一立方㍍。一年ほど前までは、住宅の軒下に積んであったり、「仮置き場」に巨大な山をつくっていたという。

樹木や草、解体された建物の廃材など燃えるものは、各町につくられた「減容化施設」と呼ばれる焼却炉で燃やされ、その灰は中間貯蔵施設に運び込まれる。ところが土は燃えないから、減容化できない。そこで国は、造成する道路や農地、学校のグラウンドの下に「埋め戻す」ことにした。危険だからとはぎ取った土を「再利用する実証実験」という名の下で違う場所に埋め戻す。

浪江町でも、飯舘村でも、楢葉町でも、広野町でも、窓が全くない、白亜の巨大な建物の方向に、フレコンバッグを積んだ大型トラックが列をなして走る光景を何度も見た。また、土が詰め込まれているであろうフレコンバッグを大型クレーンで吊り上げてトラックに積みこむ作業があちこちで行われてもいた。どこかの道路や農地やグラウンドの工事現場に運ばれて行くのだろうか。フレコンバッグは、こうして急速に数を減らしている。だが、放射能は消えない。無くならない。除染は放射能を移動させるだけ、あるいは焼却して灰という形に濃縮されるだけ。私たちの目の前から消えるだけである。

(工藤 稔)

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