福島県いわき市で生まれ育った獣医師・武藤健一さん(68)に誘われて、フクシマを訪ねる旅(五月二十八―三十一日)のリポート五回目。今回で終わりにする。

六月二十六日付の北海道新聞に、「飯舘村の復興拠点 10月ごろ除染着手」という小さな見出しがあった。紹介する。

――環境省は25日、東京電力福島第一原発事故で立ち入りが制限されている福島県飯舘村長泥地区の帰還困難区域で再び住めるように整備する特定復興再生拠点区域(復興拠点)について、除染と建物の解体工事に10月ごろ着手する見込みだと明らかにした。

環境省は、工事の受注業者を募る一般競争入札を公告。第1弾の除染対象地域は、復興拠点の中心部の宅地や道路などの計約16㌶で、表土のはぎ取りや除草などを実施し、住宅などの解体工事20件程度を行う予定だ。

政府は4月、飯舘村が申請した復興拠点の整備計画を認定。国費で除染やインフラ整備を進め、2023年春までの避難指示解除を目指す。(後略)

六月十九日の小欄、フクシマリポートの三回目に、飯舘村の長泥地区に向かい、「この先帰還困難区域につき通行止め」の看板が掲げられたゲート前で空間線量を測ったところ、三・七マイクロシーベルト毎時(以下μSv/h)だったと書いた。年間に換算すると三二・四一二㍉シーベルト(以下mSv)。それまで年間一mSvだった一般人の公衆被ばく限度が、二〇一一年三月十一日の東電福島第一原発の爆発事故の後、突如として、二〇mSvに引き上げられた。日本国民の放射能に対する耐性が、原発事故を体験することによって二十倍になったというわけだ。もちろん、病院のレントゲン室などの「放射線管理区域」で仕事をする人たちの限度は、年間五mSvのままである。一定の「危険」を受け入れることで報酬を手にする専門家たちの少なくても四倍のリスクを、国と東電のために故郷を追われ、放射能による健康被害に怯える罪なき市民・町民に押し付けたのである。

持参した、放射線の空間線量を測定する線量計のデジタル画面の数字は、刻一刻変わる。例えば、先述の長泥地区に通じるゲート前が三・七μSv/hだったが、そこから車で十分も走らない芦原地区で車を止めて測定したら、五・二μSv/h、役場から遠くない飯樋地区の元幼稚園では、〇・九八μSv/hだった。

度々福島を訪ねている獣医師の武藤さんは、「放射線量はピンポイントです。〇・一μSv/hの場所から一㍍離れると三μSv/hだったりする。温度計なら、二〇℃の周りは、違ってもせいぜい一九℃か、二一℃か、そんなものですよね。放射線量は違う」と説明する。そして、「被ばくの影響は、人体にすぐには出てこない。そこが原爆と違うところ。線量が高い場所で長く暮らし、内部被ばくが原因で数年後にガンを発症しても、国や東電は因果関係は証明されていないなどとシラを切るんでしょうね。ひどい話だよ」と吐き出すように言う。

元高校教師の菅家新・原発事故の完全賠償をさせる会事務局長(66)の案内で、富岡町の夜ノ森(よのもり)地区を再訪した。一日目に、「被災地フクシマの旅」実行委員会の渡辺勝義さん(65)と訪ねている。

(工藤 稔)

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