「あなたの会社は、どうでした?」。九月六日の胆振東部地震による大停電・ブラックアウトの話が、間もなく発生から一カ月になる今も出る。「自宅は一時間ほどの停電で済んだが、職場は翌日の午後まで停電が続いて大変だった、お宅は?」のようなやり取りである。もっともっと走り回って、現場の声を聞き、記録すべきだった、という反省の気持ちもあって、出来るだけ「あの時」のことを尋ねるようにしている。

 道内で唯一、飛行機が発着できた旭川空港から札幌まで走ってほしいとの依頼が幾つもあったが、停電で燃料の補給ができず断らざるを得なかったというタクシーの運転手の話や、多くの店が停電で閉店しているのに、なぜか停電を免れ、「旅行客らが押し寄せて、申し訳ないけど大忙しだったよ」と言う居酒屋の大将がいたり、である。

 そんな中に、「泊原発が動いていれば、ブラックアウトにならなかった。やっぱり原発は稼働させるべきだよ」とおっしゃる方がいた。電気に関連する会社の経営者である。本当にそうなのだろうか。

 素人なりに、いや素人だからこそ、今回の大停電を機に、たった一日や二日の停電でパニックに近いような事態に陥る電気について考えてみるべきじゃないか。仏壇のロウソクを拝借し、思えば半世紀ぶりに、揺れる炎の下で夕食をとった。以来、以前にも増して節電に努めるようになった家人との電気談義である。

 ――二〇一一年に、原発がどれほどの不幸を産み、数十万人の人生を狂わせて、大好きだった福島の桃を食べられなくされ、これから何十年も、被ばくの恐怖を抱えて生きて行かなくてはならなくなった、もう原発はこりごりだ。原発が動かなくても、ちょっと節電したり、暮らしを変えたりしたら、ほら、真冬だって電気は足りるじゃない、って、みんな気付いたはずなのに。たった七年で、忘れてしまうのね。私もそうだけど。
 ――ブラックアウトは、発電する電気の量と、使う量のバランスが狂うことで起きるみたいだ。そもそも、苫東の火力発電所で、北海道で使う電気の半分を賄っていたなんて、結果論じゃなくて、いけないことだったんじゃない? あの辺りは、地震が予想される地域なんでしょう? 原発と同じように、安全神話を信じ込んでいたのよ。
 ――地震の後、世耕何やら大臣が、まるで慶事を報告するような態度と言葉づかいで、朗らかに苫東の修理完了の時期を発表するのには、腹が立ったな。国や経産省には、全く責任がないみたいに、ペラペラペラペラ。水力や風力に火力を適宜に使えば電気は十分間に合う北海道に、原発を持たせて、その上ブラックアウトを予測できなかった、お前が何を偉そうに講釈を垂れているんだあって、怒鳴ってしまった。

(工藤 稔)

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