後に官房長官を務めることになる五十嵐広三・元市長(一九二六―二〇一三)と身近に接したという大先輩と話をした。九十歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)として芸術論やまちづくりについて一家言をお持ちの方である。こんな話である。

 「西川市長は、永山に住んでいるんだって? 僕は、ダメだと思うな。市長たるもの、このまちの中心に住んで、まち全体を眺めなければ。このまちが今、どうなっているか、市民の暮らしはどうか、永山からは見えないよ。買物公園に住めばいいんだ。考え方が、ずい分変わると思うな」

 昨年九月六日、胆振東部地震によるブラックアウトが発生した直後にも、同じ声を聞いた。「まちに災害が発生したとき、市長は真っ先に市役所に駆け付け、陣頭指揮に当たらなければならない。タクシーを呼んで、永山から何分かかる? 道路が不通になった場合、どうする? 永山出身だという理由で永山に居住するのだとしたら、このまちのトップとして失格だね」と。

 永山地区の皆さんには嫌な話かもしれないが、正論だと思う。市長ではなくて、国会議員にでもなられたら、どこに住もうとご自由だが。枕は、ここまで。

 安倍晋三首相は、参院選の遊説日程を公表せず、〝逃げ隠れ戦術〟をとっている。ヤジられるのを嫌ってのことだそうだ。国会審議で、首相席からヤジるのがお得意のこの国一番の権力者は、自分がヤジられるのは嫌いなんだ…。この幼児性、気持ち悪い。すごく怖い。
 その安倍首相が参院選第一声の場所に選んだのは、福島市の果樹園だった。二〇一七年十月の衆院選の第一声も、福島市の中心部から十㌔も離れた田んぼの中だった。その地域産のコメで作ったおにぎりを食べて見せた。福島復興に力を入れているとアピールするための印象操作。やってる感の演出。その場限りのポーズ。見え見えを恥じない感性に、見ているこちらが下を向いてしまう。

 さて、八日付朝日新聞「ルポ現在地 2019年参院選②」を読んで、暗たんたる気持ちにさせられた。こんな「やらせ」が、福島のあちこちで行われているのかと。「大月規義」の署名がある記事である。第一原発がある大熊町で四月十四日、安倍首相と町民五人との「車座集会」が開かれた。復興庁の企画。大月記者は次のように書く。

 ――五人は復興庁と町が選んだ、帰還や復興への思いが強い人たち。新庁舎の一室でそれぞれが思いを述べる中、旧役場近くで喫茶店を営んでいた武内一司さん(66)は、原稿の書かれたA4判の紙からほとんど目を離さず、たどたどしく読みあげた。

 紙は復興庁の要請を受け、町が用意した「発言案」。読みづらい小さな字だっただけでなく、本当に伝えたい内容がなかった。

 私は武内さんと事故直後から親しく、発言案は前日夜に見せてもらっていた。

 「一日も早くお店を再開したい」。これは事実。だが「落ち着いたら、娘に店を任せようと思っています」との一文は、どうなるか分からないので読みたくないと話していた。

(中略)

 武内さんは、自分で書いた原稿もポケットに入れていた。だが、復興庁の職員にダメだと言われた。自筆の原稿は――

 「町職員や商工会の人はいっしょうけんめいやっています。それでも前に進みません。東京オリンピックで東京は盛り上がっています。大熊の人たちは毎日の生活がたいへんです」

 記事は続く。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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