旭川デンマーク協会の会員になっている。さしたる理由はないが、会長の大矢二郎・東海大学名誉教授が学校の先輩だという縁だったかも知れない。

 その協会のメンバー六人が六月二十七日から七月五日までの日程で、ノルウェーとデンマークに研修旅行に出かけた。私も行きたかったのだが、諸般の事情でかなわなかった。一行はノルウェーのオスロ、デンマークのオーフス、コペンハーゲンの市庁舎を訪れた。八月三十日、旅行の報告会を兼ねた茶話会が開かれた。

 場所は三浦綾子記念文学館(神楽七ノ八)の分館。デンマークの伝統的なオープンサンドイッチやお土産の紅茶、彼の国産のビール、カールスバーグやワインも用意され、二十人が集まった。大矢会長は、市民団体「赤レンガ市庁舎を活かしたシビックセンターを考える会」の代表でもある。軽食と紅茶、軽いアルコールをとりながら、建築や食べ物の画像と話を楽しむという、気楽な集い。心に響いた幾つかの話を紹介しよう。

 オスロ市庁舎の竣工は一九五〇年、オーフス市庁舎は一九四一年、コペンハーゲン市庁舎は一九〇五年。ちなみに我が旭川市の赤レンガ庁舎の竣工は一九五八年である。大矢会長は、「そのまちの市民が、市庁舎という建築をどんなふうにとらえているか、どんなに大事にしているか、どんなものでなければいけないと思っているか、それを感じて帰って来ました」と写真を投影しながら話を始めた。

 オスロ市庁舎には、この建物を設計した建築家のブロンズ頭像が飾られている。「東京都庁舎には丹下健三の銅像が…、聞いたことがないですよね」と笑わせる大矢会長。「旭川なら佐藤武夫の頭像があってもいいはずなんだけど。建築と言うモノに対する、市民的な理解の仕方とか、庁舎というモノがどうあるべきか、という決定的な認識の違いがやっぱりあるな、と感じました」。この設計者に対する敬意、その設計による庁舎への市民の思い入れの強さは、コペンハーゲン市庁舎に設置された設計者の資料展示コーナーでも強く感じたという。

 デンマーク第二の都市・オーフスの人口は約三十四万人。旭川とほぼ同じだ。市庁舎は一九四一年竣工だから、第二次世界大戦の真っ最中に建設されたことになる。設計者はアーネ・ヤコブセンとイーレク・ムラ。今では、完全に観光対象物になっていて、庁舎を巡るガイド付きのツアーがある。ガイドの話によると、専従の職員が五人いて、真鋳の手すりなどを毎日磨いているという。

 同行した会の事務局長・石田純枝さん(建築計画工房あとりえコア代表)は、「手すりの総延長は二キロメートルもあって、磨くボランティアもいるそうです。庁舎の中には張り紙やポスターなども全くないですし、とてもきれい。市民がこの庁舎をどれだけ大事にしているか、誇りにしているかが分かります」と話した。

 今号一面にあるように、旭川の新市庁舎の建設工事が十一カ月先送りされる。竣工は二〇二三年八月。計画では、その後、現赤レンガ庁舎は解体される。その一番の理由は、「耐震の脆弱性」だとされる。鉄筋コンクリート(RC)の建物の寿命はせいぜい五十年だから、という理由も耳にした。だが、オスロ、オーフス、コペンハーゲンの市庁舎は、一部石を使っているが、いずれも基本的にはRCである。

(工藤 稔)

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