前週、十六日号の小紙の一面トップは、旭川市の産業廃棄物最終処分場(市内江丹別町共和)の使用期限が早まる一方、その後の新たな処分場の整備が間に合わない可能性がある、という記事だった。市議会で小松晃市議(共産党)が質問して明らかになった。記事を引用して簡単におさらいしよう。

 ――市は産業廃棄物の処理を一九九四年から、第三セクターの旭川振興公社に委託。処分場の整備にあたり、市有地の貸与、損失補償などの支援を行っている。当初計画は三期で行われ、その最後となる第三期管理型処分場の供用が二〇一九年十月から始まった。

 第三期の埋め立て期間は二八年までを予定しているが、初年度の受け入れ量が当初計画よりも増加した理由から、埋め立て終了の時期が二年以上早まる可能性がある。また、現時点で四期目以降の計画はなく、次期処分場の整備は用地の選定から行うことになるため、相当の時間を要すると想定される。(中略)

 ――小松は「用地が決まっていたとしても整備するのに四、五年はかかる。このまま行けば産廃処理に空白ができる可能性があるが、その場合の対応は」と追及した。

 松野郷次長は「空白ができた場合は、市内にもう一つある民間の管理型産廃処分場への埋め立てが想定されるが、処分場それぞれで排出事業者、収集運搬事業者との取り引き状況が異なるため、円滑な受け入れに影響が出ると考えている」と答弁した。(引用終わり)

 要するに、四年後の二〇二五年には旭川市の産廃処分場が満杯になる可能性がある。だが、その後の整備計画はない。仕方がないから民間の産廃施設にお願いしてみるが、受け入れてもらえるかどうかは分からない、そういうことだ。

 なんて無責任、なんて行き当たりばったりの行政だろう。開いた口がふさがらない。

 九日号の荒川美恵子さんの連載エッセイ『江丹別の青い空』(第二週号に掲載)のタイトルは、「江丹別はいつまで『旭川のごみ捨て場』であり続けるのか」だった。二月二十三日号で小紙が報じた、近文清掃工場の新設計画が頓挫し、そのあおりで最終処分場が予定の覆蓋型(屋根付き)から従来のオープン型に戻される、という記事を読んだ驚きからエッセイは始まる。荒川さんは、新たな処分場がまた江丹別に造られるのではないかという“悪夢”に怯えながら、次のように書く。

 ――何より辛かったのは、江丹別地域の住民が賛成派、反対派に二分されることだった。ごみ問題がなければ、賛成派と市の癒着もなく、反対派との対立もなかった。迷惑施設のごみ処分場は、どの地域に設置されても問題が生じる。それだけに、市のごみ行政に対する姿勢、認識は厳しく問われなければならない。(引用終わり)

 旭川市は二〇一六年から二年にわたって、北大大学院工学研究院の松藤敏彦教授を座長に検討委員会を設置、清掃工場と最終処分場について議論を重ね、廃プラを燃焼処理する新・清掃工場を建設することで減量化し、カラスの被害や悪臭の拡散を防止できる覆蓋型の処分場を造成する計画を持った。検討委は「中心市街地から遠く離れていなくても建設が可能」と結論付け、その考え方に沿って建設地の選定が行われて来た経緯がある。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

●お申込みはこちらから購読お申込み

●電子版の購読は新聞オンライン.COM

ご意見・ご感想お待ちしております。