旭川ゆかりの詩人の名を冠した小熊秀雄賞の選考会が十日、高砂台の扇松園で開かれた。昨年はコロナ禍で秋に延期を余儀なくされたが、第五十四回となる今回は、どうにか無事に開催できた。いつものように選考の過程などは後日、贈呈式の前に小紙が特集企画を組むのだが、選考会の最終場面で三点の詩集の評価で熱い議論が交わされた。

 結局、二点の詩集が「甲乙つけがたい」としてダブル受賞になる(受賞作については前号で報じた)。そこで残念ながら落とされた一点が『福島の涙』(木村孝夫著)だった。四人の選考委員の講評をまとめると、おおよそ次のようになる。

 ――「復興五輪」などという言葉で原発事故が霞んでしまった感がある中で、現地で暮らす者として、生の声を分かりやすく、自らの言葉と感性を通して表現した詩が並ぶ。詩に肉体的感覚が刻み込まれている。作者の毅然とした姿勢を感じる。

 最終選考会にノミネートされた際に送られて来た略歴によると、著者の木村孝夫さんは、福島県いわき市に住む七十四歳。所収された一篇に『座談会』という詩がある。そのサワリを紹介しよう。

被災者の一人が
 「俺らには風評被害などはない」
 「被害」なのだ
と 怒鳴り始めた

座談会の会場が凍りついた

「うん」と頷く人
激高すると言葉の潤滑油が切れて
上手くしゃべれない

「当事者ではないから
 この気持ちはわかるまい」
名札をテーブルに叩き付けた

東京電力福島第一原子力発電所の
見学後の座談会の席(中略)

まさしく正論だ

だから、想像しながら
原発事故や被災者の気持などを
書いてはならない
その人の人生の時計は、その日に
止まったままなのだ

「賠償金で全て解決したと
 思うなよ!」
投げつける言葉は
まわりの空気をも突き刺す

八年半が過ぎても
この思いを
手順を踏んで静かに話せないのだ

世界最大級の原発事故
東京電力の経営者や国は
事故の責任を誰もとろうとしない
「福島に寄り添う」
この言葉の虚しさだけが
後味悪く、いつまでも残っている
(後略・引用終わり)

 東京電力福島第一原子力発電所の敷地内のタンクにたまり続けている「汚染水」が、海に放出される。十三日、政府が決めた。放出の開始は二年後。今後もたまり続ける汚染水をすべて流し終えるのは、三十~四十年後だそうだ。

 大手紙の報道を読んでいると、汚染水を処理する「ALPS(多核種除去設備)」で浄化すると、トリチウム以外はほとんど除去できる、と理解してしまう。麻生太郎副総理・財務相は「あの水を飲んでも何ちゅうことない」と言い放ち、放出する汚染水のトリチウムの濃度について、「中国やら韓国やらが海に放出しているのと同じもの以下だ」と発言したそうだ。本当なのか?

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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