過日、親族の葬儀に参列した。遺族は四十歳代の子ども二人だけで、コロナ下ということもあり、簡素な式だった。その通夜と葬儀の二日間で、いたく感動させられたことがあった。司会の女性のプロとしての仕事ぶりに、である。

 故人の略歴紹介が、通夜と葬儀で違っていた。明らかに前日よりも、「磨き上げられて」いたのだ。遺族や、故人が所属していた蕎麦打ちの仲間に“取材”して、生前の具体的な思い出を加えたり、話の流れを微妙に修正している。参列者がたった六人しかいないのに、手を抜かない。妥協しない。

 多くの葬式の司会者の、悲しさを過度に煽ろうとするようなイントネーションが嫌いだ。お尻がムズムズして、いたたまれなくなる。分かるでしょう? あの気色の悪さ。この司会者は適度に抑制が利いた口調だった。心静かに聞けた。だから、お坊さんの説教がいささか長かったが、イライラせずに許せた。

 式がすべて終わって、彼女が頭を下げた時、私は思わず拍手をしそうになった。いや、本当に。プロの仕事はこうあるべきだ、いい勉強をさせていただいた、そう思った。枕はここまで。

 息子が東京の私立大学で学んでいるという知人が、「下の娘が、兄貴と同じように、道外の私立に行きたいと言い出したらどうしよう」と言う。「自分みたいな、地方の中小零細企業のサラリーマンが、子どもを大学に、しかも私立にやるなんて、どだい無理なんだよね」と。

 彼が言うには、息子は三年生。仕送りは、毎月七万円だそうだ。奨学金をもらい、飲食店でアルバイトをしていたが、去年からコロナ禍のため、アルバイトの収入はほぼ無くなった。「一年目は入学金と授業料で百四十万円。二年目からは授業料九十万円。仕送りを増やしてやりたいけど、こっちの三人が飯を食べられなくなる」と苦笑いする。

 私が入学した一九七〇年、授業料は年間八万五千円だったと記憶する。当時、国立大学に進んだ友人の授業料は、年間三万六千円だった。いま、国立大学の授業料は五十三万五千八百円。四十年の間に十五倍に高騰した。私大の授業料は年間、文系で八十万円、理系で百二十万円、医・歯系になると三百万円近いそうだ。

 決して郷愁ではなく、敗戦から十年以内に生まれた私が学生の時代は、いわゆる金持ち、裕福な家庭の子でなくても、その気があれば大学に進学できた。高校時代の私の同級生の中にも、無利子の奨学金を受けながら、新聞や牛乳を配達して大学に通う者がたくさんいた。勉強がしたいけど、貧乏だから大学に進学できないという子は、少なくても私の周りにはいなかった。

(工藤 稔)

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