前週二十四日号の小欄で、亡くなった広瀬爽彩(さあや)さん(当時14歳)の「いじめ事件」について書いた。見出しは、「市長が教育長に『要望』する珍事の理由について」。ある市議会議員が、爽彩さんのいじめ事件について、議会で行った質問にまつわるエピソードを取り上げ、自死した少女に対して行われたとみられる陰惨ないじめを政治利用するような愚はおやめなさい、という論旨だった。

 「もうすぐ古希の孫三人の市民より」と名乗る読者からメールが届いた。丁寧なご指摘である。紹介しよう。

 ――八月二十四日の「直言」について補足をさせて頂きたく筆をとりました。

 市長が教育長に市内で起きたいじめに関して「遺族に寄り添い迅速な調査を」という要望書を教育員会に出したことについて、奥様は「教育長って市長が任命するんじゃないの? 組織が違うといっても、もともとは市の幹部、市長の部下でしょう? 市長室に呼びつけて、指示すればいい話じゃない」とおっしゃっています。

 奥様を「一般市民の代表格」と書かれている通り、普通の市民は「市長部局と教育委員会はそれぞれが独立した全く別の主体を持った組織として法的に位置づけられている、故に市長といえども教育委員会の事務について指示したり命令したりすることはできない」ということをあまり理解していないのではないでしょうか。

 私も十数年前までは知りませんでした。なぜなら教育長はほとんどが市の職員の中から市長が推薦し、教育関連予算も市長が編成して、どちらも議会に諮り、職員も行ったり来たりするので、市長の下に教育委員会があるかのように見えるからです。

 以前、あることがきっかけで教育委員会の成り立ちを調べて、私はとても感動しました。教育委員会制度は、第二次世界大戦の敗戦後に、戦前の皇民教育の反省の下、民主的教育を確立するために、「政治的中立性の確保」や「地域住民の意向の反映」などを保証すべく、市長部局と完全に独立した行政委員会として設置されました。一九五六年までは、条例提案権と予算編成権もあり、委員は公的選挙で選ばれていたのです。

 それがだんだん形骸化して、委員は名誉職的になり、教育長は市長の意向を忖度するようになり、住民の意向が反映されづらくなってきていることは本当に残念です。

 とはいっても、教育委員会はまだまだ独立した組織ですから、市長が指示したり、命令したら、「市長の分際で何を出しゃばって、職権乱用だ」と叱らなければなりません。マスコミを集めてのアピールはともかくも、「市長が教育長に要望書を提出する」のは、正しいやり方と言えます。

 いずれにしても、いじめ事件については市民が疑念を抱かないように、しっかり調査して、十分な情報公開をして頂きたいと教育委員会にお願いしたいと思います。(引用終わり)

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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