「選挙のこと、書かないの?」と言われる。「道新に載っていた、市長候補の〇〇さんの、あの発言はおかしいんじゃないの? ちゃんと書いてください」と読者から電話もいただいた。書きたいこと、言いたいことは山ほどあるが、どう書いても、どちらの陣営からも批判されるだろう。書くのは、終わってからにする。お許しを。

 ただ、投票に行ってほしいと願う。一九九〇年代以降の「投票にいかない人」の増加は目を覆うものがある。選挙権を有する市民の半数以上が棄権している。大した議論もなく、二〇一五年にいつの間にか決まってしまった感がある十八歳選挙権(二〇一六年の各種選挙から)も、投票行動の動機付けにはならなかった。

 市長選を例にとると、二〇一四年は五〇・四三%、十八歳以上が投票した二〇一八年は四七・四八%。逆に三%、実数で八千八百人以上も減った。道議選と市議選も、二〇一五年と二〇一九年の選挙を比べると同じく減っている。

 私事だが、九十六歳になる実母が、「私、選挙に行かなかったことはないんだけど、今回は行かないかな」と言い出した。この五月から一人暮らしをあきらめて、グループハウスに入居している。理由は言わないが、おそらく面倒なのだと思う。好きだった料理さえ作れなくなったのだ、面倒くさいと思う気持ちは理解できる。私は説得する。「母さんにはもうそれほど未来はないけど、五人の孫や三人のひ孫のために、投票に行かなければダメだよ」と。こういう場面では特に耳が遠くなる母は、返事をしない。だが、昼飯で釣ってでも、期日前投票に連れて行くつもりだ。

 コロナ禍の選挙である。史上初めてのトリプル選挙とはいえ、関係者の予測は「増えることはない」で一致する。せめて、有権者の半数の信任を得なければ、ダメだと思う。弊紙の読者には釈迦に説法だと知りつつ、周りの人に声をかけて頂きたい。自分のためもあるけれど、未来を生きる世代のために、公約を読んで、考えて、一票を投じてほしい、と。お願いします。枕はここまで。

 永江雅俊さんが亡くなった。天寧寺(市内永山四ノ二十)の前住職。一九九三年から、旧ソ連邦ウクライナ共和国・チェルノブイリ原発の事故で激しく被曝した、隣国ベラルーシの人たちの支援を二十年にわたり続けた。必要とされている物資を手にベラルーシに十六回も足を運んだ。被曝した子どもたちを旭川に招く「保養里親」の活動は、一年に三人から七人の子どもを迎え、延べで百人以上が放射能がない旭川でひと夏を過ごした。きっかけは、「一カ月間放射能から分離されると抗体ができ、二年間健康を維持できる」というドイツ医師団の見解に接したことだったそうだ。

 こうした運動に様々な形で関わった市民は少なくない。偉ぶらず、人に求めず、黙して笑って自ら範を垂れる。市民運動の真のリーダーの一人だった。

 東京電力福島第一原発の事故から一年後、二〇一二年三月から十二月まで、永江さんは本紙に「原発は反いのち」を四十二回にわたり寄稿、連載している。その一回目、三月十三日号の原稿を次のように書き始める。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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