画像 三人の子どもと身重の妻を残して招集された一人の兵士が、戦地から送ったハガキ。その文面が一冊の本として刊行された。

 市内東六ノ五、会社役員鍜治沢公一さん(67)の父親、常二さんは、〇五年(平成十七年)九月二十七日、九十歳で亡くなった。その五年前、常二さんの妻、美代子さんが亡くなった後、遺品の中に、常二さんが戦地から妻や子どもたちに宛てて送ったハガキの束が残されていた。

 妻の美代子さん、長女の田鶴子さん(一九三七年生まれ)、二女の道子さん(一九三八年生まれ)、長男公一さん(一九四〇年生まれ)、そして出征中に誕生した二男の勇二さん(一九四三年生まれ)に宛てたハガキは、合わせて百四十枚余り。

 妻の身体をいたわり、子どもたちの健康を心配し、知り合いの様子を気づかいながら、戦友たちのための慰問品を求める言葉が、万年筆や鉛筆の細かな文字で、びっしりと書き込まれている。

 「軍事郵便」「検閲済」と記されたハガキは、半世紀以上の時を経て、インクが滲んだり、かすれたりして判読が難しい部分も多かった。また、戦地から発送した軍事郵便ということで、発信地は秘匿され、消印など日時を知る手がかりもなかったが、刊行を後押しした第一印刷(則末尚大社長)のスタッフが丁寧に解読作業にあたり、内容のほとんどを文字にすることができた。

 タイトルは、「ミヨ子よ、子どもたちよ―戦地の夫、父から届いた手紙」。発刊の辞の中で鍜治沢さんは――

 「父が出征したのは、長男である私がまだ物心つく前のことです。妻や子どもたちに宛てた文面からは、家族を残して戦争の前線に立つ、当時の日本の男の気概と、そして妻や子どもたちへの思い、同時に、厳しい食糧事情、物資の絶対的な不足をも感じさせられます」と書いている。

 常二さんは、一九一五年(大正四年)、旭川生まれ。三人の子どもと身重の妻を残して出征、無事に復員し、戦後は旭一旭川青果卸売市場(現・キョクイチ)の創設に関わり、旭一や旭川青果の取締役などを務めた。

 義父の常二さんと長く暮らした、公一さんの妻、典子さん(65)は、「抱擁力があって、心の広い方でした。嫁いで四十年近く、一度も叱られたことがありません。手紙には、いろいろな物を送ってほしいと書いてありますが、自分のためではなくて、戦友の皆さんと分けあっていたのだと思います。人に優しい、愛情のある方でしたから」と話す。

 公一さんは、「おこがましい、という気持ちがありましたが、父の生きざまの一端を、親類や縁者の人たちに伝えたいと思い、まとめました」と話している。

 「ミヨ子よ、子どもたちよ―戦地の夫、父から届いた手紙」は、A5判、百五十六ページ。販売はしていない。問い合わせは、あさひかわ新聞(電話27―1577)へ。