img東旭川町倉沼に伝わる神事「倉沼氏子火祭り」が二十六日、倉沼神社で行われた。

一九〇三年(明治三十六年)に始まった祭り。毎年決まって一月二十六日に行われ、参拝者が一年の安全を祈る。当日の朝、集まった氏子たちが稲藁を材料に直径一・七メートルの輪を作り、鳥居と本殿の中間に設置する。全員で本殿に参拝し、輪をくぐって退出。その後、輪に火が放たれる。以前は実際に火の輪をくぐっていたが、火傷のおそれから現在の形になった。

昭和初期の三年間ほど、この祭りを中止したことがあるが、同時期に集落内で三件の火災が発生したため復活。以来は毎年、厄払いと火の用心を兼ねた儀式として欠かさず行ってきた。同祭関係者によると、道内でこうした祭りを行っているのは珍しく、市内外から撮影に訪れるカメラマンも少なからずいるという。

倉沼に開拓の鍬が入ったのは一八九六年(明治二十九年)。山下又作氏と三井勝次郎氏が現地調査に入り、その翌年に両氏が家族を引き連れて移住したのが同地域の起こりとされる。

倉沼在住で氏子代表の小北定一さん(75)は「両氏が入植した当時の倉沼は、昼間から熊が出て仕事も何も手に付かないような土地だったそうです。現在私たち住民が、この倉沼で良い農作物を育て収穫し、安心した暮らしを営んでいられるのは、先人方の労苦のお陰。開拓者への感謝とともに、火の恵みへの感謝も表すのが、この火祭りです」と話した。