「工藤さん、あんた、結局、西川市長が嫌いだということなんでしょう?」、ある席で、本欄を読んでくれているという男性から、こんな指摘を受けた。口下手な私は、「いえ、おのぉ、好き嫌いということではなくて、ですね…、そのぉ、市長という立場におられる方は、そうした批判や厳しい意見を受け止めて、対応できる能力を持っていなければ、ならない、わけでして…。権力を有するヒトに対しては、市長に限らず、そのぉ、生意気ですけど、書かなければならないことは、書くというのが、私の仕事なのでして…」などと答えた。

 好き嫌いでやっちゃうと、いわゆる「お友達内閣」のような、なんとも無様な、滑稽な、一人善がりな結果を招くことは、浅薄な私でもいささか心得ておりまして。批判は、難癖ではありません。どちらかと言えば、激励、エール、ととらえていただければ幸いです。私は、決してクレーマーではありませんから。そこのところ、しかと御承知おきをお願いして。

 以前にも書いたが、中小企業家同友会という経営者の会の末席に名を連ねさせていただいている。全国に散らばるその仲間が、試験的に運営しているSNS、アナログおじさんが日本語に置き換えると「社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービス」とでも言うのか、とにかくそこに、旭川のメンバーが次のような日記を書いた。本人の了解を得て、転載する。

 ――昨日の夕方、会社に訪ねてきたお友達の市職員にこんな話を聞いた。

 一週間ほど前、旭川市役所の本庁舎ビルから三十代の市職員が飛び降り自殺をした。平日の午前中だったから、その現場を目の当たりにした同僚や市民も多数いたと聞く。

 本人はメンタルを患っていて、休職明けだったというから、発作的なものだったのかもしれない。故人のご冥福をお祈りしたい。

 当市の市長は昨年十月の選挙で当選した三十八歳の青年市長だ。その彼が今回の件について、市職員に向けたメッセージを一切発信していないという。

 自分のところのスタッフが、本社ビルから飛び降りて自らの命をたつという異常事態に、ましてや「市民の安全と健康を守る」を一つの公約として当選してきたトップが、なんのメッセージもないというのはどういうことなんだろう。

 自分のスタッフの安全も守れずになにが「市民の安全か」!

 実際には今回の件やそれに類似することを全て防ぐなんてことはムリな話であることはわかっている。しかし、同僚の死を目の当たりにし、浮き足立っているだろう職員達にその死を痛ましく思い、故人の冥福を祈りながらも、市民のために気を取り直して職務に邁進しよう、ぐらいの思いは伝えられないものか?

 もし、自分の会社でそんなことが起きてしまったら、何のメッセージも発しない社長がいるだろうか?

 三千人もの組織のトップに立ってしまうと、そういうことが見えなくなるのか? それとも、そもそもそういう自覚がないのか?

 まあ、無責任きわまりないやり方で一億二千万人のトップの座を投げ出す国の一市長だから、そもそもそんなことを期待することが間違いなのか? 昨日、結局遅くまで酒を飲みながらも、なんだか、そのことばかりを考えていた。

 少ないけど、九人の企業のトップとして、スタッフの痛みや苦しみ、喜びや怒り、そんなものをしっかり感じ、共有できるリーダーでありたいと思う。

      *

 八月二十八日付の本欄「連日、夜の付き合いで…なんてオチャラケてる場合か」に寄せられたファクスを紹介する。こちらは、市長擁護のご意見。

 ――感じたことを書かせていただきます。まず、西川市長がどんどん市民の間に入り、小さな会にも顔を出すのは、私は純粋に市長の人柄、精力的に行動する姿勢の表れであり、いちいち選挙を意識しているものではないと思います。

 ある会場で、肩を抱かれて耳打ちされたのを振り払わなかった光景は、現場を見ていないと分かりませんが、これも市長の人の良さ、温厚さの表れで、まだ三十八歳、名前は言いませんが以前の市長と違って市民の代表としての最低条件の人間性、実直性はクリアしているのですから、もう少し大きな目で今後二、三年の成長を見守ってあげては如何でしょうか。

 私は、市民に親しまれ、信頼できる立派な首長になることを期待しています。

 今号は、いろいろな意見、見方があるのだな、ということで―。

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