社員を募集すると「新聞社」という業種の響きの良さもあるのだろう、予想を超える応募があるのが常だ。「二十五歳から四十歳。学歴不問。できれば経験者」くらいの大ざっぱな条件。本人、またはハローワークの担当者からの電話で、面接の日時を決める。当日、それなりに着るものに気をつかった風な方が、履歴書を手にやって来る。そのほとんどは、大卒。しかも、かなりの有名大学、中には国立一期校(古いな)の大学院を出た方もいたりして。で、面接の結果は、大半の方に、その場で、「難しいですね」と言い渡さなければならない。理由はただ一つ「この人、人とコミュニケーションがうまく取れないだろうなぁ」。

 小なりとはいえ新聞社。人と会って話を聞き、声や情景や物事を文字という記号に変換したり、その仕事をサポートして、不特定多数の人に伝えるのが商売だ。特別な才能や知識、学力はいらないが、最低限度の国語力は必要だし、何より、人と接したり、関係を構築できる程度の「人格」が必要だ。これまで面接した高学歴の応募者のほとんどが、「あのぉ、申しわけないけど、よその家を訪ねる時のマナーを勉強してから面接に来ていただけませんか?」と言いたくなるような方たちであった。ここで、「じゃあ、お前はどうなの?」などとチャチャを入れないように、ね。

 東京・杉並区の区立中学校が、大手進学塾と提携して、有料の夜間課外授業をスタートしたという。二年生百三十人のうち、入塾テストに合格した十九人。授業料は月額一万八千円から二万四千円。月・水・金曜日の午後七時から九時三十五分まで数学と国語を、さらに土曜日の午前に三時間、英語のコースを設定している。リクルート出身の校長は、インターネットのホームページに「私立を超えた公立校を確立します」「公立校の弱点である『吹きこぼれ』を出さないため、都立の進学重点校や私立の中上位校を狙う夜の特別コース。『夜スペ』と名付けました」と書いている。

 校長が使っている、聞き慣れない「吹きこぼれ」とは教育用語。「浮きこぼれ」とも言い、「落ちこぼれ」の対義語として使われるようだ。ネット上の百科事典「ウィキペディア」によると、「塾などによって高い学力を身に付けた生徒や、もともと学習意欲が高い生徒が、通常の学校の授業内容に物足りなさや疎外感を感じたり、実際に疎外されたりすること」とある。
二重の差別ではないか、と感じる。一つは、たかが「国語」と「数学」の成績が良いというだけで、選ばれた生徒は優越感を持ち、選ばれなかった者は劣等感にさいなまれることになるだろう。二つ目は、お金に余裕がある家庭とそうでない家庭の選別が具体的になされること。定着しつつある格差社会の縮図が、そこに見えるではないか。

 中学二年生と言えば、十三、四歳の子どもだ。今の高齢化社会を思えば、その先にある長い人生の五分の一、六分の一の段階だ。その資質の何たるかなど、皆目見当もつかない、発達途上の年齢ではないか。その時点で、たかが「国語」と「数学」の勉強ができるか、できないか、そんな極めて狭い基準によって「ふるい」にかけられ、烙印を押され、あたかも将来が決まったような錯覚を覚えさせられる子どもは、たまったものではない。

 田舎育ち、時代が違うから、何をトンチンカンなことを、と言われるのを承知で書く。そんなに学力をつけて、将来、どんな仕事を目ざすのさ、と。医者かい、弁護士かい、キャリア公務員かい、それとも大企業の給料取りかい。中学生の時、バスケットボールに夢中で勉強嫌いだったヤツが大学の先生になったり、高校時代に、私と成績ビリを争った友達が裁判官になったり、高校を中退して建設作業員になった友人が、今では弁護士だぜ。別に、それらの職業が尊くて、偉いなんて、全く思わないけれど、さ。誰一人、塾になんて通っていなかった。それどころか、めちゃめちゃに遊び回っていた連中だった。

 将来、学問で飯を食おうって人は、親や学校や周囲がそんなにサポートしなくたって、自分でやって行く。その資質があれば。心に留めるべきは、ちょっと支えてあげたり、ヒントを与えてやらなければならないレベルの子どもたちだろう。公立学校が「吹きこぼれ」対策のために進学塾に応援を求めるという、その真意がどうしても、私には分からぬ。

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