夕方、お弁当屋さんの前を通ると、就学前らしき子どもを二人連れた若いお母さんが、注文の弁当が出来上がるのを待っている。弁当屋さんの商売の足を引っ張るつもりはないけれど、哀しい気持ちになる。「家に帰って、ご飯炊いて、納豆と目玉焼きでいいじゃない、作って食べさせろよ」と。今回の中国製ギョウザの事件も、えらいことだと思いながら、誰が作ったものか分からないものを買って食べるんだから、それ相応の覚悟がいるんじゃないの? と感じている私がいる。枕は、ここまで。

自宅から歩いて五分、いわば町の酒屋さんの店先で、先日、手料理の肴で大吟醸酒をいただいた。店主の小川勇一さん(60)が、店のお得意先の声に応えて、毎月一度開いている有料試飲会。名づけて「LOVEの会」。

六十五人ほどの会員がいて、気分が向いた時、好きなお酒が飲める時に参加して良いという緩い会だから、人数はまちまち。この日は、飛び入りも含めて十二人とやや少なめ。売り物のお酒が並ぶ店内に、テーブルと椅子が用意され、肴は、卵焼きや揚げ豆腐、黒豆、漬け物などなど。すべて、小川さんの妹、正子さんによる手作りの料理。店主いち押しのお酒を、その蘊蓄(うんちく)を聞きながらチビチビといただく。ラベルがあるお酒が四種類。そのほかに、小川さんが蔵元から「内緒で頂戴してきた」という、ラベル無しの秘密のお酒なども出てきて、この席で出会ったばかりの“飲み仲間”同士の話が盛り上がる。

先月は、シャンパンだった。会費は、酒の種類にかかわらずいつも三千円。「赤字ですね」と店主はさらりと言う。「毎回、酒の原価だけで足が出ますから。ただ、これは試飲会なんです。有料の試飲会。自分が、この酒はいい、売りたい、と思う酒が、果たしてお客がどう評価するか、直接その声を聞くことができる。こちらにすれば、お金を出してでもほしい情報、反応です。そう考えれば、多少の赤字など、安いものですよ」と。

店の奥には大きなワインセラー、冷蔵ケースには日本各地の地酒を中心に、日本酒党には垂涎ものの銘柄がずらりと並ぶ。思い出した。この酒屋さん、かなり以前に、一度来たことがある。確か、ビールを買いに来て、その品揃えに少々がっかりした記憶が…。

「ビールは、鮮度が落ちたものを高く売らなければなりません。安売りのお店や量販店には、どう頑張ったって太刀打ちできっこありませんから。だから、最初から最低限の商品しかおいていません。といって、ワインや日本酒に特化しているつもりもないんですよ。お客さんがほしいと思うものを売らせていただく、そういうことです」。昔ながらの製法による酢や、島根県で作ってもらっているというオリジナルの柚子ジュースなど、この店でしか手に入らないだろう、真面目に作られた商品が並ぶ。

年末に取材した折、私は知ったような質問をした。「大手やコンビニの台頭で、酒の小売店は厳しい状況ですよね。この会は、町の酒屋さんの生き残り策の一つですか?」なんて。小川さんの答えは「潰れる時は、潰れます。悪あがきはしませんよ。この会も、純粋にお酒を飲んで、楽しむことだけが目的です。互いに名前も職業も知らない、この会だけで同席する人たちが、一夜、仲良く、楽しくお酒が飲めれば、それでいいんです」。一九五一年(昭和二十六年)、私が生まれた年の創業だそうだ。この地で半世紀以上も酒を商って来た、町の酒屋さんだからこそ言える自信に満ちた言葉ではないか。その証拠に、後継ぎの息子、勇樹さん(27)は、フランスワインを売る達人のライセンス、フランス食品振興会認定の「コンセイエ」の資格を取得して、父親とともに店に立っている。

どんな商売だって、同じだ。当然、浮き沈みはある。酒屋さんだって、まさか、コンビニが雨後の竹の子みたいに、あっちにもこっちにもニョキニョキ開店してバカバカ酒類を売ったり、スーパーマーケットや果ては薬屋さんの店頭にビールや焼酎が並ぶ時代が来るなんて、二十年前までは想像もしなかったろう。なんでもかんでも便利、スピード、お気軽の、大忙しの世の中の到来を、どんな知恵と工夫ですり抜けて、商売を、企業を、保ち続けるか、様々な条件の違いはあろうけれど、この小川商店の姿は、そのヒントの一つじゃないかと感じ入りながら、大吟醸をなめた。心地いい酔いだった。家も近いし、歩いて帰れるし。途中、二度転んだけど――。

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